今日、何気なくインターネットのニュースを見ていたら、
一昨日(2月8日)横浜で行われた参政党の街頭演説会を巡って、
同党とNHK党の党員の間で、
一触即発の事態が引き起こされていたとの記事があった。👇
実は、参政党の副代表である神谷宗幣氏が、
昨年夏の参院選挙で参議院議員になっておられたことを、
小生は、昨年の暮れまで知らなかった。
しかも参政党の発起人の一人だったことも知らなかった。
随分迂闊なことと言えば迂闊なことであり、
氏に関する、そうした事を最近まで知らなかったと言うことも。
お恥ずかしい限りではある。
話は3年半前の2019年7月に遡る。
神谷氏を知る知人から、
神谷氏が主宰する「イシキカイカク大学」のフィールドワークを、
三ヶ根観音戦没者慰霊園で開きたいとの申し入れがあった。
聞くところによると、氏は、元は市会議員をしていたが、
それを辞して後は、日本の歴史や文化の真の姿を知ることが世直しの一歩と、
自らマイクロバスを運転し、彼の仲間や信奉者を引き連れて、
直にその土地や現場に出かけ、学びの場としておられると言う。
これが神谷氏のことを知るきっかけだったが、
随分前向きな方だと感心もして、同年7月、三ヶ根に一行をお迎えした。
(最前列、向かって右から2人目が神谷氏。・・・令和元年7月8日 百八観音像前)
当日は、フィールドワークと聞いていたので、園内をご案内しながら、
主な慰霊碑について、皆さんに由来やエピソードなどをご説明させて頂いたり・・・、
👇
三ヶ根観音本堂の座敷をお借りして、資料を用意しながらレクチャーしたり・・・、
👇
三ヶ根観音住職の勤行による、本堂での戦没者慰霊法要を執り行って、
この日のワークを締め括らせて頂いた。
👇
以上が、当日の「フィールドワーク」のあらましだ。
この日初めてお目に掛かった神谷氏と交わした会話の中で印象に残っているのは、
神谷氏が市会議員を辞めて、現地現物主義で、
日本の歴史や文化と直に触れ合おうと思うようになった理由を伺った時、
彼が答えてくれた次のような言葉だ。
「政治では、世の中は変えて行けないと思い至った。
真の日本の歴史や文化を知る中で、日本人の意識を変え、世の中を良くして行きたい。」
特に、”政治では世の中を変えていけない”と言う言葉が、
印象的だったので覚えて居る。
小生の個人的な好悪の基準で言えば、
大言壮語して何もしない人より、目立たなくても現地現物の活動に徹しながら、
少しでも周りを良くしていこうとする人が好きなので、
市会議員を辞めて、現地現物に生きようとしている(ように見えた)
神谷氏の言葉が印象に残ったのだろう。
ところが、実際は、それから間もなく、彼は参政党という新党を立ち上げ、
その副代表となって、昨年7月の選挙で、参議院議員になっていたのである。
(ウイキより拝借)
昨年末、彼が参議院議員になったと知った時、3年半前の彼の言葉が蘇ってきて、
大きな違和感を感じたものである。
ちなみに、あの時のフィールドワークの準備は、
昼食会場の設定から、資料整備、法要の手配まで、
全て小生らの「奉仕会」(3名)が行い、
「イシキカイカク大学」側は、各自の昼食代を支払われたのみで、
後は、何もされなかったのである。
後に、神谷氏から知人に対して、
「金銭的御礼はどうするか」という話があったらしいが、
事前に知人に対して、金銭は一切受けないと伝えてあったので、
知人から神谷氏には、そのように伝えられた。
フィールドワークの後、参会者数名から私に、
当日の感想や御礼の手紙やメールが届いたが、
主宰者の神谷氏からは、全く御礼や感想のメッセージはなかった。
神谷氏にとっては、三ヶ根のフィールドワークなどは、
たいした行事でもなく、わざわざ終了後に、御礼の手紙やメールを送る対象では
無かったかもしれないが、彼らのワークにあたって、出来る限りの準備をして来た、
小生ら奉仕会の人間としては、
今一つ、神谷氏の心配りの至ら無さが残念だったことを覚えている。
いずれにせよ、神谷氏を巡る今回の、NHK党と参政党との騒動、
一刻も早い収束を願うものである。
そして神谷氏には「政治では、世の中を変えて行けない」のではなく、
「政治で世の中を変えて行く」ことを、実際に示してもらいたいものだ。
拝