比叡山と桜の京都へ、元三(がんざん)大師を訪ねて | 三ヶ根の祈り のブログ

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 3月31日から4月2日まで、元三(がんざん)大師を訪ねて、

比叡山や京都青蓮院などを巡拝した。

 

 初めて比叡山に上がったのは、小学校の修学旅行の時だから、

実に半世紀以上も前の事。

 

 

 今回は、比叡山の3つの聖地(東塔、西塔、横川)の内、

「横川(よかわ)」を訪ねた。

 

 横川には、比叡山延暦寺中興の祖と言われる

「元三大師(がんざんだいし)」の御廟や御堂がある。

 

 

 

 =元三大師について= (ウイキから拝借)

 

 【僧名は良源(りょうげん)。

 

 延喜12年9月3日912年10月15日) - 永観3年1月3日985年1月26日))、

平安時代天台宗の僧。

 

 諡号(しごう)は慈恵大師(じえだいし)。

 

 一般には通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。

 

 第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺

中興の祖として知られる。

 

 また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を

集め今日に至る。

 

 「おみくじ」の創始者とも言われている。】

 

 

(青蓮院門跡 宸殿の元三大師像・・・向かって右側)    (令和4年4月2日撮影)

 

 

 

 比叡山を訪ねたのは、今年のお正月以来の「元三大師」との「御縁」による。

 

 

 実は、今年1月3日に、愛知県岡崎市の真福寺(しんぷくじ)に初参りした。

 

 その時、境内にある仏堂の御本尊「慈恵大師」が、別名「元三大師」で

あることを、初めて知った。

 

 この御本尊は「眼病に霊験あり」とされ、真福寺へ参詣の折、眼病の治癒を

祈願している仏様だ。

 

 

(岡崎市真福寺の御堂:中央に「木造慈恵大師坐像」)=令和4年1月3日撮影=

 

 「慈恵大師」が別名「元三大師」であることは、有名な事なのに、

それを知らなかった。

 

 「元三(がんざん)」の謂れは、「正月元旦の3日目、1月3日が御命日」

だったことによるのだが、今年の1月3日の参拝で、偶然そのことを知った時、

大師との、ちょっと不思議な御縁を感じたのだ。


 

 その後、2月に京都東山にある「青蓮院門跡」を訪れた時、

宸殿に置かれているお二方の御像の内、御一方が、

「元三大師」その人であることを、これも、その時の訪問で

初めて知った。

 

(「元三大師」と「慈鎮大師」の御像=令和4年2月17日撮影=)

 

 

 元三大師は、法然上人や親鸞聖人の浄土教に大きな影響を与えた

「恵心僧都」の師という。

 

 

 親鸞聖人は9歳の時、得度されて比叡山に入られた。

 

 その時、得度を担当されたのが、元三大師のお隣の「慈鎮大師」。

 

 慈鎮大師」の僧名は「慈円」。

 

 「慈円」は、比叡山の座主も務め、しかも「青蓮院」の門主でもあり、

歴史書「愚管抄(ぐかんしょう)」の作者としても知られており、

この時代きっての宗教者 兼 傑出知識人。

 

 その「慈円」が9歳の親鸞聖人の得度をした場所が、御像の隣の仏間と言う。

 

 

(青蓮院宸殿 「親鸞聖人得度の間」   (令和4年2月17日 撮影) 

 

 元三大師と慈鎮大師は、青蓮院にとって、とても大切な存在ということだろう。

 

 

 こうして今年1月3日の「真福寺」に続き、2月17日の「青蓮院」で、元三大師と

再び「巡り合った」ことから、これは何かのメッセージではないかと言う思いも強くなり、

比叡山の御廟と大師堂を巡拝させて頂くことにしたのである。

 

 

 以下は、比叡山と京都青蓮院他での、「元三大師」旧跡巡拝を中心とした

写真記となります。

 

 

 3月31日午後は、やや肌寒い中での横川入りだった。

 

(比叡山 延暦寺横川<よかわ>霊地への入口) 👇

 

 参道の途中には、横川ゆかりの親鸞聖人、道元禅師、日蓮上人の「生涯絵伝」も

掲げられていた。

 

 親鸞聖人の「出家得度」の絵図もあったが、ここでは、得度は慈円の白川房で

なされたとある。

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(元三大師堂への参道)

 

 まず始めに、御廟へお参りさせて頂くことにした。

 

 この場所から左手に15分ほど、山の中の道を行くと御廟があった。

 

 

 御廟の前に鳥居と社殿があり、御廟は後ろ側にある。

 

 

 

                              合掌

 

 

 来た道を引き返して、次に「元三大師堂」へお参りさせて頂いた。

 

 (元三大師堂)

 

 

  大師堂前に案内板があり、大師についての詳しい説明があった。

 

  元三大師が優れた法力を持ち、種々の霊験を現わされて・・・・などとある。

 

  魔除けの護符にもなっている「角太子(つのだいし)」も、

大師の霊験から生まれたものと言う。

 

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   「元三大師堂」の説明板もあった。

 

   元は「四季講堂」と言って、法華経の論議が行われた・・・ などとある。

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(本堂)

 

 

 

 本堂内でのお参り時、「角大師」の護符と、お線香を購入させて頂いた。

 

 「角太子」、一見すると怖そうだが、よく見ると、どことなくユーモラスな神様のようだ。

 

 「元三大師」の御分身とも言うそうである。

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 こうして比叡山の元三大師御廟と大師堂を巡拝させて頂き、

1月3日に愛知「真福寺」、2月17日に京都「青蓮院」で頂いた、

大師からの有難いメッセージへの御礼をさせて頂くことが出来た。

 

 

 

 ところで、比叡山は標高が高いせいか、この日(3月31日)はまだ、

桜は開花していなかった。

 

 

 だが、その翌日から入った京都市内は、正に桜が満開! 

(以下の写真は4月1日と2日の撮影)

 

(①「琵琶湖疎水」周辺)

 

 

 

 まさに、善男善女が桜を求めて、溢れ出て来たような平和な光景!

 

 桜を見物する人を見物するような・・・・・・

 

 この日本の平和を守りたい・・・などとは思う間もなく、小生も人をかき分けながら、

桜に熱中!

 

 

(②「南禅寺」界隈)

 

  南禅寺の本堂屋根を掠めるようにして、桜の花の中を、飛行機雲を引いて飛行機が行く。

 

  こういう光景がとても好きだ。

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  この日は、風が強かったが、満開になったばかりの花びらは散ることがなかった。

 

 

 南禅寺の奥に佇む「南禅院」の庭。

 

 ここでは、桜がない分、静かな庭園巡りが出来た。

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(③哲学の道)

 

  写真を撮る場所を取るにも一我慢・・・・。

 

 

 

 

(④「青蓮院門跡」)


 

 宸殿前「左近の桜」の枝垂れと、「右近の橘」の実が見事だった。

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 青蓮院庭園も春の装い。👇

               

 

 

 

(⑤「尊勝院」)

 

 「尊勝院」は、青蓮院の裏手にあり、「元三大師」を御本尊としている。

 

 住職は、青蓮院の東伏見慈晃門主が兼務。

 

 元三大師と青蓮院の結びつきの深さを感じるお寺だ。

 

 

 「粟田庚申堂」の名入りの「護符」を購入させて頂いた。 

 

 庚申(こうしん)とは「お猿さん」のこと。

 

 

 

 「尊勝院」から、さらに山道を30分ほど歩くと「将軍塚青龍殿」に着く。

 

 この山道は、京都市一周のトレイルに指定されているので、比較的歩きやすい。

 

 

(⑦「将軍塚青龍殿」)

 

 「将軍塚青龍殿」は、青蓮院の飛び地に平成26年に建てられた。

 

 京都市内を一望できるという、京都の新しい名所にもなっている。

 

 青蓮院の現門主(もんす)である東伏見慈晃氏の奔走により実現したことを、

門主ご本人からお聞きした。

 

 


 

 今年も、「青龍殿」の周囲は見事な桜だった。

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 以上、最後まで御覧頂きありがとうございました。

 

                                拝