今回は、フィリピン戦線で戦っていた時、部隊に「特攻命令」を出した
大西中将との息詰まる場面が語られます。
【 美濃部正氏講演「戦争体験と人間指導」から<その6>
フィリピンのレイテ島で戦闘を行なっていますと、
大西中将から、名指しで呼び返されました。
当時司令長官といえば中将であり、私は一飛行隊長の少佐でした。
長官室に入りますと、長官が「美濃部君、君に相談がある。」
長官が私に相談がある、とは何事だろうと思いましたが、
「何事でございますか?」と質問しました。
「実は、東シナ海方面に日本の輸送船団がおり、
パラオ島の北にあるコッスル水道方面から、
アメリカの飛行艇が東シナ海に網の目のように張っていて、
我が船団が次々と発見され、爆撃されて非常に被害が大きい。
現在、フィリピン方面の補給が危殆に瀕している。
この飛行艇を叩かない限りは、比島作戦の続行は難しい。
コッスル水道にアメリカの飛行艇が48機いるが、
これを叩く方法はないのか?」と言う質問でした。
当時、我が方の爆撃機はほとんどやられてしまって、
戦闘機だけで、わずかに特攻作戦を続けるという段階に入っていました。
私は「その飛行機48機を叩くことは可能です。」と答えました。
フィリピンからパラオのコッスル水道まで、
距離的にみて洋上1100キロメートルあります。
しかし、この目標の無い洋上1100キロを飛んで行く力量を持った人は、
当時の海軍にはもうほとんどいなかった、と思います。
ただ、私は中尉時代、南洋方面で1年間行動していたため、
パラオ島やコッスル水道の地形ははっきり覚えているわけです。
私が行けば、このコッスル水道までの1100キロを飛んで行くことが可能です。
しかしパラオ島のそばのペリリュー島には、敵の戦闘機が、
すでに300機近く配備されています。
この戦闘機の中に突っ込んでいかなければならないので、
夜飛んで行って、明け方にコッスル水道に到達して、
飛行艇を銃撃する方法しかありません。
長官が「それで君は無事帰って来ることが出来るか?」と質問を受けましたので、
「帰るという事はできません。
御承知のように、すぐ側には敵の戦闘機が300機もおりますし、
私の戦闘機は片道だけで精一杯です。
燃料の補給をしなければとても不可能です。
しかし、絶対ダメとは申しません。
それは敵のすぐそばのパラオ島に、約600メートルの滑走路があり、
この滑走路に特殊着陸すれば着陸できないことはありません。
したがって、そこに燃料を用意しておけば、燃料を補給して一応は帰るつもりです。
しかし、すぐ側には敵飛行場があり、飛行艇を48機も焼かれ、
みすみす敵の戦闘機が黙って見逃すことはないでしょう。
したがって、帰れるか、と仰られても、それはほとんど不可能です。」
と申し上げたところ、長官は、
「それでは君が行ってもらっては困る。部下の3機で行かせろ。」と言うのです。
冗談じゃない。
そんな予科練の年端も行かない者が洋上1100キロなんてのは、
未だかって世界でそんな芸当をやれるパイロットなんかいる訳がない。
向こうへ到達することすら不可能である。
したがって、3機を出すことは絶対に反対である旨申し上げたところ、
長官は別の提案をされました。
それは私の所にある複座戦闘機「月光」(注:日本海軍の夜間戦闘機)ではどうか、
というものでした。
「月光」ならば可能である。
しかし「月光」は悲しいかな、機関銃が斜め下についていて、
銃はポンポンと撃つため一点集中が出来ない。
となると、飛行艇の若干は焼けるかもしれないが、全滅させることは不可能である。
このようなやり取りがあって、突如「君の部隊の『月光』を特攻に出せ!」
と言われました。
初めて私の部隊に特攻命令が出された訳ですが、私は長官に
「私は特攻を出しません。
『月光』を出したところで、せいぜい『月光』1機に対して飛行艇1機叩くだけです。
たかが3~4機の飛行艇を叩いただけで戦局に影響がありますか?
こんなことで私は部下を失いたくない。
長官は私の持っている部下の使い方まで指示してくれなくてもよい。
私の部隊にやれと言うのならば、私の思う通りにやります。
私の『月光』でもって特攻にせよ、というようなことは、
長官といえども指揮権の侵害である。」と申し上げました。
結果的には、予定通りの作戦方針でレイテ島で戦うことになりましたが、
以来海軍において、私の部隊には特攻命令が上級司令部から出されていません。】
まさに、若き飛行隊長美濃部少佐の面目躍如といった所ですが、
次回<その7>からは、いよいよ海軍夜間攻撃隊「芙蓉部隊」が
活躍する沖縄戦に入ります。