ふと思い出した。
10数年前に勤めていた会社。
フルタイムパートから正社員になって勤めていた会社。
あまりの男尊女卑?感に、絶望して辞めた。
まぁ、男がえらい?的な。
仕事を始めた時は、上司に【ここの仕事は、すぐには覚えられないよ。数年以上はかかるよ】と言われた。まぁ、いわゆるクレーム処理も含む。事務仕事。
で、実際に頑張らないと行けなかった為。その後すぐに、単身赴任していた連れが鬱になって仕事辞めることになったり、子たちはまだ中高生だった為、必死に働いて一時期は、私の保険に入れたりしていた。丸二年でほぼほぼ、何を聞かれても答えられる知識だけ&誰に聞けばわかるか?は、わかるようになった。
でね。まぁ、辞めるって事柄が起こった時、会社をずる休みした。いや、精神的にきつくて会社に行けなかった。理由は一人のおじさまの男尊女卑発言だけど。
周りの同僚のおばさまとかみんなは、慰めてくれたけれど、辛くてね。
ここまでやっても、女だから認めてもらえないってことに対して絶望した。
んでんで、神社行って、ふと、祈禱の太鼓の音とか雅楽の音楽聞いてたら・・・。
【やめよう・・・・やめてもいいんだ・・・】って思った。
本当にすっとやめようと思った。
クレーム対応の為、答えが無い物もあって。土日なんてどう答えたらお客様は満足するんだろう?どうしたらいいんだろうとか考えたり。あまりにも、クレーム多く抱えすぎると、土日に寝込むことも多々あった。まぁ、ある意味、お客様からの思い通りにならない事に対する八つ当たり的な部分も多くあり、受け流すことが苦手で、真面目に答えないと・・・と思っている私(変に生真面目な部分)には、すごくきつかった。
んで、辞めますと退職願いではなく、退職届を渡して。(笑)
二か月の引継ぎ期間を設けて辞めた。何せ、退職してから連絡は欲しくない!と思ったので、仕事しながら必死にマニュアルも作った。
所属していた会社は、有志で1000円ずつ集めるという習慣があった。もちろん私も今まで、関係していた人の時は、1000円出していた。1000円集めて、他にお花代としてちょこっと集めて渡すみたいな。
私の部署だけで、30人程度。他に部署が、5個位?かな。
その社屋全体で、確か80人よりいるくらいの人数が働いていた。
ちなみに、私は、部署をまたいで付き合いもあり。なぜだか、人を育てるということを3年目くらいからしていて、3人?育てた。でも、育てた2人の女子は他部署の事務方に引き抜かれて、連れていかれちゃった・・・。育てただけで終わった。
一応、退職する時には、何かお菓子を箱ごとどうぞ!的に置いていくのが習わしとしてあったので、とりあえずお菓子とクオカード500円を準備しようと思った。
ただ・・・。一体だれが有志に入っているのか・・・わからない(笑)
この為、有志のを集めてくれている後輩にちょっと聞いて、有志一覧リストを見せてもらった。有志で1000円ずつ出してくれている人の数が・・・。
60人???(;^_^A
びっくりした。有志なのに・・・60人も出してくれているなんて。。。本当にありがたいと思った。
けどそこから大変。クッキーにお世話になりましたとプリントがしてあるものを60個注文し、500円クオカードも、ありがとうございましたと面に印刷があるものを買って。結局、ほとんど1000円貰っても、返す形をとった。
退職日に、有志のお金をくれたのは、部長の上の部長っていうか・・・。社屋のほぼ長と思われる方からもらった。(ここまでおおごとになるとは思わなかった。。。(笑))
お花と有志からのお金55000円?位かな。
後は、それぞれ、花をくれた人。わざわざ仕事が休みだった日に、会社まで自宅から1時間とか掛けて来てくれて、バスグッズと花をくれた人。珈琲をくれた人。お菓子をくれた人。調味料セット(確か有名どころブランドの)をくれた人。などなど、自分の部署からも、皆でちょっとくれて。本当に車の中が、自分の持って行く荷物と、もらったものでいっぱいになった。
本当にありがたいと思った。思い出しても、うれしかったなぁと思う。
結構、どこの部署の人が何かを聞きに来ても、それがどうしてそうなのか?相談にのると、乗りかかった船はきっちりやっていた為、それで、上記のようになったのなかぁとは思っている。
そうそう、恋愛相談もされてた(笑)私の方が結婚してたからね。
なんてことを思い出した。
あの会社の同僚とは、今はほとんどつながってない。
本当に身近にいた一人二人とだけたまーに連絡をしている。
というか、身近にいた同僚のほとんどが転職した。まぁ、そういう会社だったんだろうなぁ・・・と思う。そういえば、会社なのに【おかあさん】って呼ばれていた。それも・・・自分よりも10歳以上年上のおばさまからも・・・。(笑)もちろんほとんどが年下の若い女子でしたが・・・。なぜ、おかあさんの呼び名になったかは・・・未だ不明だ(笑)