悪とは無知にほかならない
気高さを極める旅の初期段階において、人間は悪のパワーに直面し、その圧倒的な威力にたじろぎます。しかしながら、やがて洞察力がもたらされ、その神聖な光が心と人生に当てられると、悪とは、小さな、暗い、パワーをもたないものであり、たんに「善が否定されている状況」にすぎないことが判明します。
ジェームズ・アレン
("THE LIFE TRIUMPHANT", James Allen, 『「原因」と「結果」の法則④』P115〜P117,サンマーク出版, 2004年4月10日, 訳 坂本貢一)
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月曜日の担当は、
原因と結果の法則メソッドによる
コーチ&事業開発コンサルタント
兼、高齢者介護事業をダブルワークしている
萱森実です。
100年以上前に書かれた「原因と結果の法則」から
エッセンスを得て、ライフスタイルや仕事に役立つ
学びをシェアしています。
本日のアレンさんからの問いかけは、
「悪とは無知にほかならない」
です。
気高くなろうとすることに関わらず、日々の日常では様々な「悪」に出会います。
北斗の拳の世界のような無法者の街ということではありませんが、「身勝手な欲望」や「相手から奪おうとする行動」をしている人はふつうに見かけていると思います。
問題は、自分の内にもそのような「悪」がふつうにいるということです。
原因と結果の法則を学ぶ以前の私は、自分の中にある燃え盛る怒りこそが正義でした。
身の回りに起きる問題を、正義に照らして解決していくことが自分の個性であり大事にすべき能力だと思っていました。
しかし、 それが「悪」だったとは・・・
仕事でトラブルが発生すると相手が誰であろうが公的機関であろうが
「大人の喧嘩は勝たないと意味がない」
とか言って、全エネルギーを集中させて連勝していました。
誰もが理不尽だと思うことに立ち向かい、勝利に導いていたので、鼻息が荒かったかもしれません。
そして、、、 トラブルがないとなんとなく寂しい感じがし、トラブルが発生すると自分の価値が発揮できると喜びを感じていました。
しかし、原因と結果の法則を教わる中で繰り返し思い知らされたのは、
怒りは身勝手な欲望(つまり、悪ですね)であり、それを癒して手放さない限り、怒りを発散させるための問題をみずからが引き寄せて、ずっと繰り返してしまう。
そして繰り返すごとに問題は大きく深刻になっていく、ということでした。
その時の私の素直な感想は、
「え・・・どういうこと?」でした。
怒りこそが、不正を正し正義を行うためのエネルギーだと思っていた私は、ずいぶんずっこける思いがいたしました。
そして、原因と結果の法則には、二つの方向性がありました。
⒈ 身勝手な欲望を癒し手放す
⒉ 最高の望みを叶える
二つは似ているように思われますが、そのエネルギーは異なります。
今回は「⒈ 身勝手な欲望を癒し手放す」ことに触れていきます。
コーチングを行う際、クライアントさんに必ずお伝えすることがあります。
それは、
「今起こっている問題の原因は自分の中にあります。そしてそれは、絶対に変えられます」
ということです。
私自身が同じことを経験していることでもありますが、アレンさんも、身勝手な欲望(悪)についてこんな風に言い表しています。
悪とは、小さな、暗い、パワーをもたないものであり、たんに「善が否定されている状況」にすぎない。
悪は、怪物のような無敵なエネルギーの塊かと思っていましたが、じつは取るに足らないものだったようです。
長年にわたり自分の価値観の源にもなっている部分でもありますので、みずから意識して変えるには時間がかかります。
でわ、そんな悪に対して我々はどう対処すればいいでしょうか?
悪い行いは、無知から生まれます。それは、心の目がゆがんでいるか、未発達であることの結果であり、善と悪の性質に関する混乱した理解の表れです。
アレンさんの表現はときに厳しいですね。
悪の性質は多くの人が持っており、私の無意識にもまだたくさん残っていると思います。
前向きに解決していくためにまず必要なことは、自分の無知とそれによる身勝手な感情を知ることです。
ただ、身勝手な感情を知ってから、それを変えるまでが何より大変でした。
知ったから、即手放せるということではありません。
そういう人もいるかもしれませんが、私自身や、一緒に学んできた仲間たちの様子を見るに、
そこからがスタートなようです。
変えようとするときこそ、それを挑発するかのごとくに、いろんなヒトやモノ、事件事故を引き寄せます。
目の前で、ヒラヒラと挑発されるどころか、ぶつかってくる場合もあります。
私の場合、怒りを手放そうとする度に、職場に強力なヒトが現れては、いろんなことをしてくれました。
とあるヒトはなぜか両親が出てきて、電話越しに、「あなたのことを一生恨んでやる!!!」と言われるようなこともありました。
電話の向こうで、その母親が金切声で叫んでいたのも覚えています。
なんでそう言われることになったのか、経緯は覚えていないのですが、そのときはすでに自分の怒りが大きな問題であることは学んでいたので、怒りで反論することは止めることができました。
しかし、そのヒトはその後も職場に居続けていたのですが、私自身がそのヒトの幸せな成長を心から祈り、何度も何度も何度も何度も祈りました。
そして、ある日、いい形で退職していきました。
それ以外にも、自分のミスを棚に上げて強い口調と姿勢で他人を攻撃するヒトとか、大きなミスを連発するヒトとか、周りに迷惑をかけて平気なヒトとか、、、
私の眼の前にはいろんな挑発がなされるたびに、頭では自分が試されているとわかるんですが、胸のあたりが熱くなって、「ど根性ガエル」のぴょん吉に引っ張られるがごとくに怒りを発散させたくてしょうがなくなりました。
自分の中では、
「絶対に許してはならない!ここで間違いを正さないと地球は崩壊するぞ!?」
というような勢いですよ。
そのまま怒りに任せて突っ走ってしまったことも何度もありましたが、そのうちコツを覚えました。
正面切って怒りを発散させる直前に、自分の意に即しようが反しようが関係なく、相手の最高に幸せな成長を無心で祈りました。
どんなに許せないと思っていても、それとこれとは別!、とでも言うかのように、祈りました。
そうすると、、、 怒りだけにコントロールされていない自分がいました。
どんなに言い合いになろうとも、気持ちを落ちつけられる方向に戻ってくることができました。
そして、私の意図していきたい方向に話がまとまっていくことが多くなっていきました。
介護の職場なので、職員の出入りが多くはありますが、ヒトのことを攻撃することが習慣になっているヒトはいつの間にかにほとんどいなくなっていました。
アレンさんは、無知が悪の正体であると言われていましたが、それを癒して手放すことを実行するにはけっこうな粘り腰が必要です。
渦中にいるときは、
「なんで自分ばっかりこんな目に遭うんだ???」
と叫びたくなることもあります。
でもその過程において、自分が無知であったことを受け入れていくしかありません。
無知であることに恐怖を抱いていたことを認めて、素直であろうとすることが、みずからのおおきな一歩になっていきます。
今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
萱森 実
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