求めるのではなく与えること


こんにちは。

本日の担当は
原因と結果の法則メソッドコーチ
下月菜穂です。
はじめましての方はこちら






『もしあなたが私欲を放棄し、他の人たちへの奉仕に没頭できたならば、その努力に応じた規模の幸せが、あなたにもたらされることになります。その努力にあなたがつぎ込むエネルギーは、あなたが刈り取る幸せという収穫物として、あなたのもとに必ず戻ってきます。
 愛されることのなかではなく、愛することのなかで、心は祝福を得ます。求めることのなかではなく、与えることのなかで、あなたは求めているものを発見します。あなたが待ちこがれるべきもの、あるいは必要とするものはみな、あなたが与えようとするものです。』


            ジェームズ・アレン
 
("As a Man Thinketh", James Allen, 『「原因」と「結果」の法則②』P.134~P.137
サンマーク出版, 2004年4月15日, 訳 坂本貢一)



まず先に与えましょう。

でも、見返りを求める心があるとするならば本物ではない!



年末にある方の投稿を拝見していたら、
この言葉が目に飛び込んできました。




なるほどそうだ、と思うと同時に、

与えようという想いのなかに、
そのような心があったとチクリとしました。




わたし、求めるということが前提になっていないかな…。








年末は、インフルエンザに始まり、
治ったと思えばすぐに

ぎっくり首で、体の怠さと痛みに身動きのとれない時間を過ごしました。




『欲望は地獄の成分であり、あらゆる苦痛の生みの親です。』



アレンのいうように、年末に起こった出来事は、
心のなかに広がった求める心が溢れ出てきた結果なのではないかと感じています。





努力と行動、与える先にある称賛や充足感。

認められたい、
愛されたい欲求。
 


与えることよりも得ることに
意識が向いていたんですね。



得たいから、努力する。
得たいから、行動する。
  



得たいという欲求の心から
生まれる結果は枯渇する世界。




そこで、身動きがとれない痛みと苦しさがやってきたわけです。


足りないから得たい。
いつしか今を責めて、世界から奪おうとする自分がいたのですね。



出来事はすべて望み通り。
現実は心のフィードバック。

出来事のなかに
自分の心を見るという

原因と結果の法則が

また、大切なことを
思い出させてくれました。


そして、わたしも大切なことを忘れているよ!と
気づきたかった。





身動きのとれないなかで
娘の無邪気な笑顔と
ママのためにと一生懸命な姿、

母の朝晩に祈る姿、離れていても応援しあえる仲間や友人の無償の愛を感じるなかで気づくことができました。
 




足りないから欲しい。

欲しいから奪う。


奪おうとするから
奪われるのが怖い。

与えると奪われる。
与えるの先に求める。



求める心に気づくために
起こるのは「悪いこと」。

  

気づかせてくれたことに感謝。



上手くいかないときは、
違うとき。


シンプルにそこにある心を
見ること。


エネルギーの根元がずれているということ。

 


わたしは本当に足りてないのだろうか?
あなたは本当に足りてない?


愛されてないのかな?
認められてないのかな?
 

足りないと思っているのは、
愛していないのは
認めていないのは
自分自身の心。


もっと信じよう。
もっと委ねよう。
許してあげよう。

どんなときも繋がり
どんなときも許され、
愛されていることを
認めてあげよう。


あなたはあなたのままで、
目の前の大切な人に
与えられる人です。
愛することができる人です。


求めなくていい。
シンプルにあなたが喜ぶことをしよう。
大切な人が喜ぶことをしよう。
 

ただそれだけでいいのです。



怖れずにそのままのあなたで、
目の前の大切な人を思いきり愛することを
楽しんでいきましょうね♡







今日の1日が皆さんの発展と繁栄へ
繋がっていきますように。