『きれいな思いは、
きれいな習慣を作りだします。
自分の心を洗わない聖者は、
聖者ではありません』
ジェームズ・アレン
("As a Man Thinketh", James Allen, 『「原因」と「結果」の法則』P43~P46,サンマーク出版, 2003年4月25日, 訳 坂本貢一)
いきなり聖者が否定されてしまいました。笑
この章でアレンは、「思い」がどれだけ身体の健康に影響をダイレクトに与えているかを説いています。
そのダイレクトさを表現するに、
『恐れは、人間を弾丸にも劣らぬ早さで殺すことさえあります』
というほどです。
これは怖いですね。
栄養価の高いものをバランス良く食して、
毎日8時間睡眠をとっていても、
心の中の状態によって、栄養にも毒にもなるということです。
ただ、人間は「思い」のみでは健康にはなれません。
栄養ももちろん大事です。
「思い」と「健康」の関係性についてはあまり重視されてきませんでしたが、
「思い」が実はどれだけ健康に影響を与えているかを再認識することが大切です。
先日、認知症を患った人に大事なのは、人からの干渉だという話を聞きました。
最近の研究によると、
重度の認知症の人も、その人を受容し、話しかけたり触れ合ったりする人が
いるのといないのとでは、認知症の進行も健康状態もまったく異なるそうです。
これは、
「正しい思い」を持つように心を洗ったというわけではありませんが、
自分は被害者などではなく、愛され安心感に満たされているという人が、
健康を改善できるという証左でしょう。
思いに基づく行動が、自分を変え、他人を変え、現実を変えることが可能というわけです。
介護施設において、余命いくばくもない人が入居してくることは日常です。
入居するまでは家庭で、家族がその人を面倒見ていても、あまりの負担から、双方にとって幸せな形で行われていない場合が多くあります。
家族からの「邪魔者」という思いを受けて生活をすることほど、辛いものはないかもしれません。
しかし、ほどほどの距離を保てる介護施設などでは、ヘルパーさんたちが心を込めて親身に対応してくれます。
昨今、介護施設での事件事故が報道されていますが、そういったところはごくわずかな話です。
大半の介護施設では、心を込めて介助を行うヘルパーさんにあふれています。
朝起きて、夜寝るまで、寝てる時も、寝られない時も、自分の生命を大切に見てくれる元気な人たちが常にいるということは、認知症の人でなくても強い安心感を与えられるでしょう。
これによって、実際に医師が告げた余命を超えて、元気に生存する人が多くいます。
「思い」は自分の健康だけでなく、他人の健康にも影響を与えます。
美味しいご飯を食べ、十分な睡眠をとり、
自分は愛し愛される存在であることを強く思って生きましょう。
『いくら食生活を改善しても、自分の心を改めようとしない人間には、ほとんど効果がありません。
しかしながら、つねに清らかな思いをめぐらせるようになった時、人間はもはや、病原菌を気づかう必要さえなくなります。』