社交不安障害と伴に生きる

社交不安障害と伴に生きる

旧タイトル:引きこもり主婦。
社交不安障害(社会不安障害、対人恐怖症、SAD)と診断された子なし主婦。ときどき引きこもり、ときどきパート。
更新は不定期(1日に何回も書く時もあれば数ヶ月以上放置することもあります)。

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2018年3月以降、ずっと不安で悲しくて辛くて「負」の気持ちで押しつぶされそうな日々が続いている。

具体的には書けないけど、今現在、ある人に強烈な怨みをもっている。

これまでの人生、死にたいと思っても人に相談したことはなかった。
しかし今回は人生で初めて占いに行った。
占い師の人に言われた。
怨みを手放しましょう、と。
怨みを手放すってどういうことかよくわからなかった。
色々言われたけど、要約すると、
何か他のことに夢中になれってことらしい。
そうすると、その人に対しても、もうどうでもいいやー、全然興味ないってなるらしい。
そうなったら、怨みを手放すことができた、ってことらしい。
ひとまず、夢中になれるものを探そう。
2018年3月から私の人生で最も辛く悲しく寂しく不安な日々が続いている。

自殺を思いとどまった2018年3月末。
家をキレイに掃除して、不要なものをどんどん捨てていった。

色々と後回しにしていた結果、個人情報関連の書類がたくさん溜まっていた。
ひとつひとつ確認しながら、要る要らないを分別していった。
残念なことにわりとすぐに疲れてしまう。
そう。
私はこういう仕事、
書類を処分するってことが苦手。

だからどんどん溜まっていっていた。

でもこの悪い悪習を断ち切らないと!
という気持ちで、もう少し、今日はここまで、明日はここまで、って感じでやることにした。
約2年ぶりの更新。
この約2年間、私の人生で最もショックで辛く悲しい出来事がたくさん起こった。
自殺も何度も考えてしまった。

服毒、かつて学生時代に一度失敗して吐いて吐いて苦しかった、致死量はとんでもなく大量、、、
飛び降り、いざ自宅マンションの11階からとなるとコワイ、足がすくんでしまった、、、
首吊り、万が一、一瞬で気を失わなかったらしばらく苦しむと思うと留まってしまった、、、
酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜる、かつて学生時代に同級生がこれで自殺した、マンション中に強烈な匂いが漂ってた、気を失うまで強烈な匂いを嗅ぐのかと思うと自殺に失敗しそう、、、

あれ?
私、自殺したいのに、いざどの方法で自殺しようかと考えたら、選べない。
思いとどまってた。

ひとまず、今の仕事をキリのいいところで辞める、後任者へきっちり引き続きして円満退職する、まずはそこまで生きようと思った。
そう決意したのが2018年3月末。
約2年ぶりの更新。
この約2年間、私の人生で最もショックで辛く悲しい出来事がたくさん起こった。
自殺も何度も考えてしまった。

服毒、かつて学生時代に一度失敗して吐いて吐いて苦しかった、致死量はとんでもなく大量、、、
飛び降り、いざ自宅マンションの11階からとなるとコワイ、足がすくんでしまった、、、
首吊り、万が一、一瞬で気を失わなかったらしばらく苦しむと思うと留まってしまった、、、
酸性洗剤とアルカリ性洗剤を混ぜる、かつて学生時代に同級生がこれで自殺した、マンション中に強烈な匂いが漂ってた、気を失うまで強烈な匂いを嗅ぐのかと思うと自殺に失敗しそう、、、

あれ?
私、自殺したいのに、いざどの方法で自殺しようかと考えたら、選べない。
思いとどまってた。

ひとまず、今の仕事をキリのいいところで辞める、後任者へきっちり引き続きして円満退職する、まずはそこまで生きようと思った。
そう決意したのが2018年3月末。

私はこのままずっと薬を飲まなければ普通の生活をできないのだろうか。

いつもいつも自問自答する。

医者へも何度も相談した。

その度に薬を替えた。

でも薬を止めることはできない。

 

そんな私も時々うっかり薬を飲むのを忘れて出勤することがある。

でも飲んでいないと気付いた瞬間にとんでもない不安が襲ってくる。

尋常ではない焦燥感に襲われる。

すぐに飲む。

でも効くまで時間が少しかかる。

その間、不安で不安でたまらない。

いつもよりたくさん飲む。

 

薬が効き始めてからは、注意力が散漫になり、健忘になる。

 

次の日朝起きて、薬を飲んだ後の記憶がないことに気づく。

かばんを見る。

財布を見る。

ノートを見る。

PCを見る。

メールを見る。

資料を見る。

まるで他人のものを見ているかのよう。

何も覚えていない。

周りの人に色々確認する。

「はぁ?」という感じの反応を受ける。

 

死ぬほど辛いのに、社交不安障害だからといって死ぬことはない。

死ぬほど辛いのに、死なないなんて生き殺しとしか思えない。

親から言われて重荷に感じたこと。
子どもがいないまま年を取り、○○さん(主人)が先に亡くなったら、何かあったときにきょうだいや姪っ子に連絡がいく。
今はきょうだいや姪っ子に頼るなんて全く考えてないだろうけど、そういうこと考えたことがあるの?
と言われた。

一応、子どもなし夫婦でずっと過ごしてきているので、老後のことも考えている。
もしひとりで老後を過ごすことになったら…ということも想定して色々調べたことはある。
今はそういう人のためのサービスはいくらでもある。

そう言われて気付いたことだが、うちの親は老後要介護状態になったときに子どもに面倒を見てもらうのが当たり前だと考えているのかもしれないと思った。
育ててもらったし感謝はしているが、何か気が重いと感じた。
正直親より早く亡くなった方が楽なのでは?なんて思った。

普通の風邪は薬を飲めば治る。
怪我も手当てをすれば治る。
風邪や怪我はいつかは治る。
治ったと実感できる。

だが、精神障害は完治したと実感できる人は少ない。
治ったとしても何度も再発する人もいる。

薬を飲めば症状が和らぐが
飲まないと普通の生活を送れない。
心療内科に行っても薬をもらうだけ。
いつかは飲まなくていい日も来るかもという希望はもつが
絶望的だということもわかっている。

私が薬を飲まなくてもいい状況とはどんな感じかを考えてみた。
人と縁を切って無人島で一人自給自足の生活をする。
そんな状況なら薬を飲まなくても生きていけそうな気がする。
だが、同時にあまりにも非現実的だと気づく。

結局死ぬまで薬を飲み続けない限り、普通の生活を送れないと思い知らさるる。

日本では安楽死は合法化されていない。
だが、世界には安楽死を認めている国や地域はいくらかある。
安楽死を合法化したら自殺は減ると思う。
電車や車に飛び込んでも、自宅で毒を飲んでも、山奥で首つりしても、誰かに迷惑がかかる。
一方、安楽死では迷惑がかかる人は少なくなるはずだ。

「最悪の場合、安楽死したらいい」と思うと安楽死するための費用を用意しようと頑張るだろう。何かの拍子に生きる希望がもてるかもしれない。
また、医者と何回も面談を重ねるうちに生きたいと思えるかもしれない。

死にたいほどツラい人に「死んだらダメ」「生きてたら良いことある」「死んで何になる」「せめて親よりは長生きしなさい」「自ら死んだら地獄に落ちる」なんて言っても心に届かないと思う。
それより、いつでも死ぬ権利があると言われるほうが心に届くと思う。
日本も安楽死を合法化すべきだと思うのは私だけだろうか。

親はきっと気づいていた。
幼稚園や学校の個人面談でも何か言われていたはずだ。
私が極度の緊張しいで、手や声が震えたり吃ったり、頭が真っ白になり何もできなくなるってことを。

それでも私が学校を休まずちゃんと通っていたからか、病院に通わせたりなど何らかの対策をしようともしなかった。

親戚の集まりなどでは私が質問されても母が代弁してきた。
今も母が代弁する。
もうアラフォーの娘なのに。
親戚からはAちゃん(母)じゃなくてBちゃん(私)に聞いてるんだけど…と言われてしまう。
母は私が緊張して声が震えたり吃ったり頭が真っ白になり固まったりすることを親戚に悟られるのが恥ずかしいのだろうか。

そういう母の姿を見ると痛々しい。
幼い頃にちゃんと治療を受けさせたり、環境をかえたりしてくれたら、私の人生はもっと違ったはずなのに、と思う。

親のせいにしたくないが、なかなか完治しない根深い病気(障害)になったのは親のせいだとも感じる。

今の職場で働き始めてから、昼食はほぼ100%ひとりで食べているし、飲み会もほとんど行っていない。
業務以外の会話もほとんどしたことがない。
私のデスクには電話がない。

他の人が不在時でも電話は出なくてよいと言われているので今まで一度も電話を受けたことはない。
もくもくと決められた業務をするだけ、そんな日々が1年以上続いている。

そんな職場で働いていて楽しいの?
そんな職場なのに心療内科通いは相変わらず続いていて、緊張したり震えたりするの?
なんて思われるかもしれない。

職場が楽しいか楽しくないかと言うと、「楽しい」という感情はもったことがない。
だが、出勤が嫌で嫌で仕方がなくなるほど苦痛なわけでもない。

あまり緊張する要素の少ない職場だが、緊張し易いと悟られたり、緊張で手や声が震えると気付かれてしまうことが恐ろしい。

たまに寝坊して急いだあまり抗不安薬を飲み忘れて出勤したことがある。

職場に着いてそのことに気づき、不安で不安でたまらなくなった。

抗不安薬を飲んでもしばらくは効いていないような感じがして業務に集中できず

デスクとトイレを度々往復した。
ここまでくるとやはり異常だ。

自分が病気なんだと実感せざるをえない。