研究のおもしろさとは | に・ぴ・こ・り・と

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至極個人的な日々の記録。

久しぶりに理科な話。


最近、うちの会社のある製品開発に関わり始めました。

うちの会社のわりに金をかけているプロジェクトです。


このテーマはうちの会社では未開拓な分野で、

いままでの経験と知識だけでなんとかなる、って仕事じゃないから

経験の少ない俺なんかでも、対応ができる。


少しだけど、基礎研究的なこともします。

金のないうちの会社においては、ほとんどないパターン。気合はいってます。
今日はそのテーマに関連した実験なんぞをやりました。

研究っぽい仕事はひさしぶりだったもので、ちょっと興奮したり・・・

なぜか”研究”は心惹かれる。そんな感覚を久しぶりに思い出しました。

一時期、会社辞めて本気で大学に戻ろうと思ってたりしたっけ。


今日は、そんな思い出した研究の魅力について、考えていたことを書いてみる。

まあ一般論かな。


研究における快感とは、探究心と功名心だ。

研究ってのは、難しげで誰も手を出さなかったことが対象になる

ことが多いから、程度の差こそあれ、既存の考え方を壊さないと、

解決できない問題がたいがいある。

つまり、解決方法が分からない分、しばられない自由な試行錯誤が

ある程度許されるのだ。まあ時間がなければ辛いプレッシャーだけど。

 

推理小説を読み進めるような、針の先への探究心。

自分が行動しなければ、分かりえなかった事実と、その積み重ね。

予想通りの結果を得られたときの快感は、かなりのもん。

そんな探究心は替えがたいものだと俺は思う。


それから功名心。

この試験の結果がうまくいけば、世の中がこんなに便利になる、シンプルになるという、

”もの”を生み出せる、あるいはある種の”真理”を見出せる、としたら?

金を生み出すという、一時の生きるすべではなく、動かしようのない、あやふやでない事実。

それを自分の手で生み出すという快感は、凄まじくすごい。
いやらしいけど功名心は、研究するものにとって、相当大事な要素だと思う。


院生の頃、コンプレックスが強い俺は、特に燃えていた。

粘ってやり遂げれば、こんな俺でもほんの少し世の中を変えられる、と。

そうすれば、もっと自分に自信がもてるのではないかと。

朝から深夜まで、お盆中も正月も、何の疑問も感じず、ただひたすら実験ばかりやっていた。



今日はちょっと楽しかった。