いま、妻子と食事をして帰ってきた。
どうにもまだ、感情が修まらない。
苦しい。この感情は、やはり怒りに近いもののように思う。
5時にトイザらスで待ち合わせ、上の子にDSのソフトを買ってやる。
雛祭りのプレゼントだ。その後、車2台で少し離れた別のショッピングセンターへと向かう。
ピザとパスタの店で、チーズフォンデュやらピザやらパスタを食べる。
どうにか楽しく食事を終える。
この時間を楽しく過ごそうと、今日は久しぶりにソラナックスを一錠服用して臨んだ。
上の子がデザートを食べ始めた時、この前、あのお店行った時楽しかったぁ、と
口を滑らせる。赤ん坊とじゃれた時の話らしい。
妻がいないときにいつ行ったのと聞くと、雛祭りの日だ。
クリスマス、正月、そして雛祭りと、思い出に残したい日々からことごとく僕を排除する。
相変わらず、彼女の妹が父親なのだろうか?
妹も妹だ。普通の常識を持っているのなら、こういう時だからこそ、家族で過ごさせるよう気を使うものだと思うのだが、そうではないらしい。
まあ、僕自身のことを、妻がどう話しているかはわからないから、一概に責めることでもでないのだろう。
生活のリズムを乱したくないから。妻はそういう。それは全部彼女の理屈で、
彼女は自分がしたいようにしかしたくないだけだ。
子供のことを考えてるのではない。彼女が選択するだけだ。
話が違うじゃないかと、言いたいのをこらえ、店を出た。
駐車場で、明るく別れようと必死に努力をしていると、今度は僕の荷物を車に満載してきていた。
せめて、離婚が決まってからすればいいものを、嫌がらせとしかとりようのない行為だ。
ひとりでは無用の長物の品物や、彼女のわがままでいただいた高価なお祝いや、
彼女にとっていらないものなんだろう。
今の僕の生活からすれば、相変わらず物置小屋と化したままの以前住んでいたマンションの部屋にすんでいるわけで、そんな荷物を受け取ったところで、置く場所も無い。我慢して、自分の車にだまって積んだ。
気持ちをやり過ごすために、彼女たちが去ったあと、しばらく車の中でじっと感情が修まるのをやり過ごした。
今日彼女には、生活費を渡した。今の僕の手取りの倍近い金額だ。
以前からしてみたら半額以下なのだが、この不況の折、銀行の絡みもあって僕は報酬を引き下げるしか無かったのだ。
前回の調停で、それは言った。それでおさまったのがこの金額なのだが、それでもいまの手取りの倍近いのだ。
記念となるような日を妹か誰か知らないが、僕を父親としても扱わないのなら、そいつに食わせてもらえばいい。次回の調停では、言ってみるかな。
仮に離婚できたとしても、誕生日、クリスマス、正月、雛祭り・・・など、
そんな記念日に会うこともできず、さながらアッシー君やメッシー君のように扱われるのなら、とうてい歩みよろことなど不可能だ。
いまだに、怒りで脇腹が痛い。頭も少し痛い。
こちらが精一杯歩み寄ったところで、彼女はより一層の不快感を与える行動に出るだけなのだろう。
節句を祝いたいと思ったり、その日の思い出を残したいと思ったりすることは、僕が常識というものに、とらわれているに過ぎないだけかもしれない。
でも、本来なら、家に帰ればいつでも当たり前のように会えるはずの我が子に会えない日々を必死に我慢して過ごしている僕にとっては、せめて・・・とどうしても思ってしまうのだ。
・・・続く