結論から言うと、この物語は最終的にはハッピーエンドです。


そもそもこのブログのカテゴリーも、奮闘記とかではなくて、


「ハッピーライフ」なんぞにエントリーしているわけです。


人生で予期しない、思いもしない悲しかったり苦しかったりするような出来事が


様々起こったとしても、それを乗り越え、歩み続けて、いずれは幸せになっていく。


必ずそうなるんです。そう信じているんです。


だって生きてるんだもん。生かされてるわけですもん。


もともとは、どうにか前に進みたくて、出口を探すためのひとつの試みとして


このブログなるものをはじめてみました。


千々に乱れ、揺れ動く心のまま、その時感じたことを


とりとめもなく書いてみたりもしました。


書くことで、吐き出すことで少しはらくになるかと思って試してみたら、


言葉にすることが、ものすごくつらい作業で、記録すら書けないといった時もありました。


そもそもは、誰にも読んでもらうつもりもありませんでした。


反面、誰かに助けてほしい、救われたいという思いもあって、


公開してみたというのも事実です。


現状はというと、何も変わってはいません。


つらく、苦しく、悲しくて、寂しい状況であることに、変化はありません。


感情というものに振り回され、心が揺れ動くことにもなにも変わりはありません。


ですが、以前に比べれば、ずいぶん心穏やかに過ごすことが、


多少はできるようになってきたようにも感じています。


心境の変化とも言えるのかもしれません。


ここ数日来、いろんな気づきを得ことは少なからず影響しているのだろうと思います。


この先どうなるかなんて、正直わかりません。


ただ、僕はいずれは必ず乗り越えて、必ず幸せになるんだ!


その決意は強くなったのだと思います。


そんなわけで、やっぱり、すべてを書こうと思います。


いずれこんな僕でも出口を見つけ、そしてすべてを笑って語れるようになれたなら、


こんな僕のありきたりの人生に起きたことでも、誰かを元気づける役に立つかもしれません。


そうなるといいな、と思っています。


もし、出口を探している人が沢山いらっしゃるのなら、


一緒にそれぞれの出口を探せたらいいな、とも思います。


あらためて過去を振り返ることにも不安があります。


もう、見たくも無いし、考えたくも無い、蓋をしてしまいたい、みたいなことです。


でも、やっぱり逃げても仕方がないのだと思います。


自分自身、きちんと過去を整理しない限りは、やっぱり前には進めないのだと思うのです。


とりあえず、今はやってみようと思っています。


ですが正直、期待はしないでください。


やれるとこまでやってみるだけです。

途中でいろいろというか、ぐちゃぐちゃ変わっちゃったりもすると思います。


構成なんて考えているわけでもないし、いま思っていることと、


明日思っていることは、やっぱり違うと思うから。


そんな揺れ動き自体も、リアルな僕ですので、それも含めて何かを感じていただければ


これ幸いです。まあ、他人事なのでどうかお気軽に見守ってくださいませ。



よく言われている、その人に乗り越えられない問題は来ない。


その課題を一つ一つクリアすることで人間的に成長する。


なんてことの人体実験みたいなものかもしれませんね。



みんなに幸せになってほしい。


実の娘はもちろん。かつて僕を父親として選んでくれた長女にも。


そして、僕を本当の意味で成長させてくれるのであろう、妻にも。


そして、こんなブログを読んでくださる方々とその周りの人々。


・・・そう考えると、きりなく広がってしまいます。




心の底からすべてに感謝できるその日が来ることを信じています。



どういうわけか、こんな掃溜めみたいなというか、掃溜めそのもののブログなんかでも

読んでくださる殊勝な方がいらっしゃるということを最近知りました。


それは素直に、とてもうれしいものですね。

いままで、考えてもみなかった。

くだらない話に付き合ってくださって、ありがとうございます。

おまけに、励ましのメッセージまでいただけたりして、

それがうれしいと感じている自分にびっくりしました。


そろそろ、全部、話そうかな。ひょっとしたら僕の物語なんかでも、

どのこ誰だか知らない人にとっては、あるいは多少なりとも役に立つ情報なんかも

あるのかもしれない。そうも思えてきました。

ここ数日、考えていたことです。


明日、気が変わるかもしれません。それは全くわかりません。

この物語はそれこそまだ途中であって、過去の物語ではないからです。

そのときはすみません。そうなった時はあらためてお詫びします。



今日は、妻と実子と3人で一緒にランチをしました。

どうにかこうにか、妻の機嫌を悪化させること無く、表面的にはそれなりに

楽しい時間を過ごしました。


混んでいたファミレスで、僕たちを見た人たちは、誰もその背景を知ることは

無いのでしょう。仲のいい親子としか、映らないのだと思います。

同じように、周りの人たちも、想像のつかないような、大変なものを

背負って生きているんだろうなあ、と思いました。

物事は見かけ通りではない事の方が多いものだと思います。



子供の笑顔が脳裏に焼き付いて、妻子が去った後、またちょびっと涙がこぼれました。


僕も、前に進みたい。


そろそろ、全てを語ってみようと思います。





なによりも、愛する我が子、KTに捧げようと思います。



僕と妻が出会ったのは、3月の終わりでした。

出会ってからは、もうすぐ3年が経とうとしています。。。







どうして、こんな女と出会ってしまったのだろう?


ささやかな夢や希望まで奪い去り、出口のない地獄へと突き落とす。


こんな思いをするために、産まれてきたわけでは無い。そう思う。


思考は現実化する?嘘だ。こんなこと、夢にも思ったことは無かった。


プラス思考やマイナス思考。どうでもいい。


全ては自分の選択。自分の責任。そのことについては否定できない。


僕は完全に彼女の嘘に騙された。騙される奴が悪いんだろう。



少し前に、神様に何か頼むのはもうやめた。先祖供養や墓参りもやめた。

そういった、これまで子供のころから信じてきたことは、全てやめた。

結局は目に見えない、神様や先祖などのせいにしてるだけだ。

人のせいにするのと、なんら変わりは無い。


結局はなるようにしかならない。ただそれだけのことだ。

神に祈ることで、信じることで、不安や恐れから逃れ、物事が好転する、

ただそれだけのことにしか過ぎないと思う。


しかし、今回のことを体験したおかげで、結局そこが根源ではない事がよくわかった。

どうにかなる人もいれば、どうにもならない人もいる。

そこに神は介在しないのだ。たぶん。怒る人いっぱいいるだろな。


人は理由を求める。もちろん僕もそうだが、そこで登場するのが宗教だったりするのだ。

過去生や先祖のカルマが、なんて言われれば、そうなんだあ、と理不尽なことでも

理由があれば、それだけで安心できるものなのだろう。


今となっては、ばかばかしい。結局は、人のせいにしているのと同じことなのだ。


本当はもっともっとシンプルなんじゃないかなとも思う。

きっと、まったく別の理由が存在するのだ。


話を戻すが、愛する子供を奪われたり、殺されたりして、どれほどの親がそれを許すことができるだろうか?

普通は、無理だ。気が狂うのが普通だ。事故ならまだしも、誰かの個人的なわがままで、そういったことがなされた時には、どうしようも無いはずだ。

もし、彼女が僕と逆だったら、間違い無く気が狂ってるだろう。

でも彼女は、そういうことは考えたりしなのだとしか思えない。


人の立場に立ってものを考えるとか、人の気持ちを理解するとか、そういうことを彼女は子供に教えることはできない。


彼女は、人を許すことができない。信じることができない。愛することができない。


今日、上の子に会って、僕に対して会釈する態度を見たときに、埋まらない溝ができてしまったことを感じた。

もう、一緒に暮らすことは、やはり無理だろう。


彼女は家族という概念を、完全に普通とは違ってしか感じることはできないと思う・・。


もう、考えるのはよそう。余計苦しくなる。


文字通り、彼女をぶん殴りたくなる衝動に駆られる。様々な事件はこのような制御不能の感情によって引き起こされるに違いないとも思う。


この感情を抑えに抑える感覚は、やっぱり体には悪いんだろうな・・・。


僕は彼女に、暴力と虐待を行う父親としてでっち上げられている。


どうして、そんな嘘がつけるのかは、まったく理解ができない。

そんな嘘をつかれて、怒りと憎しみといった感情が起こらない方がおかしい。



まあ、よく耐えたよ。今日は。


せめて自分で自分をほめてあげよう。