組織のアウトサイダー 12
そんな訳で余裕があったので、少し緊張したが思い切って「生まれはどこで何歳なの?」と尋ねてみた。「熊本で、十八歳よ」という返事が返ってきた。高橋さんは「私のこと聞いて、どうするつもり?」「別に聞いてみただけだよ」と言うと「私に興味があるのじゃない?」と言われ内心を読まれているのにびっくりした。啓示はさらに「日曜日は何をしているの?」・「地方から集団就職した人は皆、独身寮に入っているの。食事は食堂があるからよいのだけど、普段は皆、仕事で疲れて夕食後はラジオを聞きながらベッドで寝てしまうわ。日曜日はたまっている洗濯物を洗うのだけど洗濯機が一階に2台、二階に2台しかないから順番待ちがあるので、最初に部屋掃除かな?一番楽しいのは夕食後、一人の子の部屋に集まってお菓子を食べながら雑談ことよ」啓示は「外出はできるのだろう?」と聞いた。「一応門限が10時になっているから、立川駅前通りで、友達とウインドーショッピングすることもあるよ」「ボーイフレンドはいるの?」「熊本に居たが今では電話がタマニくるくらいかな」作業をしながら、以上のような雑談をしていたので、午前中の実習はあっという間に終了していた。午後も同様に作業をしながら雑談をしていた。4時から、例の通り作業日報を書き始めたが筆がなかなか進まない。「まさか泉さんが半分、作業を手伝ってくれた」とは書けない。ウソを書くのには疲れる。「良心」に反して作文をするのであるからだ。あたかも作業マニュアル通り、作業を実施したように書くためにはどうしたらよいのか?この方法を考えつくまでに時間が掛かった。結局、余計なことはなるべく書かないで短い文章で済ませるようにした。四人の仲間でこの日も立川駅近くのクラシック喫茶店、休憩のために入った。例の三階にあるいつもの席が空いていた。長谷川さんが私に「きょうは楽しそうだったよ!彼女のことを話せよ」あとの二人も「ニヤニヤして」興味深げに私の方へ視線を向けた。啓示はとっさに「全部話す必要はない」と思った。どうせ作業をしながらときどき私の方を見ていたのだろうから。「熊本出身で十八歳であって、ほとんど作業内容について話し合っていたんだ」とこれまた架空のことを平然と話をした。あんうんの呼吸は彼女と私の問題であり、話す言葉を見いだせなかったのに加えて、心中「プライバシーのことは話さない方が良い」と思った。例えば「上軸は手渡しで受け取ったので、時には彼女の手と私の手が触れた等」ところがが、小林さんが「手ぐらいはさわったのだろう」と冷やかした。他の二人も興味深げに視線を私の方に向け直した。私は「それは振れたこともあったかもしれないが意識的にさわったわけではないよ」とごまかした。他の三人だって「同じことをやっている」と直感した。現在になって見ると、こんなどうでもよい問題が問題になるからこそ青春時代というのだろう。・・・なつかしい思いがした。「その時にしか味わえない思い出」は私の心の財産として残っている。・・・ときどき思い出すことにより「生きてきた」という証しを私にもたらすのだ。10億年後には宇宙から地球はなくなっているかもしれない。たとえ私が100歳まで生きたとしても、宇宙の時間(光年)から考えれば一秒にも満たない。翌日も彼女と作業をしながら雑談をした。今度は彼女の方から私に尋ねだした。「どこで生まれたの?」・「東京の代々木だよ」・「お父さんは何をしているの?」「毎朝新聞の記者をしていて、私は長男でここに就職するまで、(細かいことはそのうち話す)として、家族の中で一番、記者の仕事を手伝っていた」・「たとえばどんな事?」と興味深げに聞かれた。相変わらずコンベヤーは「ダダッタ子」と音を立てながらミシンを運んでくる。大きな声で話すのは疲れるが彼女が私にだんだん興味を持って来てくれるのは内心うれしかった。「いろいろあるが例えば警察から事件の電話で知らせがあり、それを5W1Hで書くのだ。かなりの文章力と速記を練習しないと、聞きのがしたり、モレが出てくる。失敗すると親父が再び警察に電話し、確認をしなければならなくなる。中学生のころは速記と5W1Hに慣れていなくてよく失敗し、親父に「だって・・・」と反論すると、その度に「ビンタ」が飛んできた。「でもあなたは品のいいオボチャマ」と言う感じを受けるわよ?」・「外見とは関係ないよ。親父だって外見は子供にビンタを浴びせるように見えないよ」・・・彼女は私に「小学校2年生ぐらいの過去の人生をおもいだせた」 私は記者ではないのに何でこんなスパルタ教育を受けなければならないのか?当時現在の子供たちのように暴力を受けて、親父を殺すなどという事件などなかったし、現在で言う「イジメ」など学校内でいくらでもあったが、親とか先生になきつく者はいなかった。大人も子供も世の中全体が「いかに食べていくか」が大問題であった。浮浪児など大都会にいっぱいいて、靴磨きをしている少年。世界大戦で片足を爆弾で失い白い服(現在は医者が着ている白い服に似ている)を着て、募金箱を両手で持ち、物乞い人達が多く見られた。私はその姿を見て「私はなんて恵まれた家庭に生まれたのだろうと」と感謝の気持ちでいっぱいであった。以上の子供たちは両親を戦争で失ったり、肩親の子供達、現代の世相では考えられない時代であった。女性の中には「パンパン」と言って、アメリカ兵と一夜を共に暮らしていた。こういう世の中の姿を見ていると子供にとって、親父は「超越者」に思えたのは当然の成り行きであった。従って「おふくろには甘えられて、オモチャをねだって、大山の商店街へ駆け込んだ思い出がいっぱいある。しかし親父とは他人のように距離を置いて付き合っていた。親父がいるときは一瞬の緊張感が自然に出てきて自由な存在にはなり得なかった。これに反発したためか、ワルガキであったしワルガキの友達が沢山いた。それはワルガキにならないと子供の世界であっても「弱気」の子供に見られると「イジメ」の対象にされるからであった。それに加えて勉強ができない子供も「イジメ」の対象となった。私は親父がおふくろに「啓示は今日の勉強は終わったのか?」ときいているのを知っていたので勉強をせざるを得なかった。この点は親父に感謝しなければならないと思っていた。おかげで「イジメ」には縁遠い子供でいられた。当時は思えなかたが、「親父から3人の子供の中で1番期待され、愛情をうけていたのかもしれない」ここで彼女との会話に戻すと「5W1Hって何のこと」・「それは簡単なことだよ。日本語に訳すと「いつ・どこで・だれが・なにを・なぜ・どのように」のことであり新聞記者が記事を書くときの基本となる文章作法だ。「作法ってなに?」「作法は女性がよくならっている(お茶・御花)には作法があるだろう。易しく言えば、お辞儀をするとかお礼を言うのも作法の一つだ」「うーん」と分ったのか分からないのかという返事が返ってきた。「あなたは大学出なのでよく知っているのね」と彼女は言った。「それは違うよう。常識だよ。」・「常識を知らないなんて、私は馬鹿よね!」と笑っていった。私はこの言葉を聞いてなんてかわいい子なのだろうと感じた。今日の午前中はこんな雑談を交わしているうちに「あっという間」に終了した。
*これはフィクションです。続きます。arutoru16