実は昨日、1時間くらいかけて書いた長文が、
あっさり消えてしまって、投稿出来なかった😭
アウトプットのエネルギーが違うし
もう同じ文章なんて書けない。
残念だ。

おみくじは 吉
正月は恒例の家族旅行。
といっても、AKANEが大好きな♨️温泉に
家族が付き合ってくれる感じ。
正月あいている子どもを遊ばせられる公園は
貴重だ。
でも老朽化で、いよいよ今年の3月に閉鎖だそう。
しょぼい施設だけど、おもしろ自転車やバッテリーカーがあって、子どもたちは大好きだった。
今年は四男(小4)だけ。
もう長男は高2、他の兄弟は家族旅行についてこない。

四男坊がおもしろ自転車で
こっちを見てみて〜
と、蛇行運転。
ストーリーは
全部この、
私はここにいるよ!
存在を承認してちょうだい!
が、目的である。
見るものと見られるもの
分離の世界。
これがストーリー。
つまり、ストーリーとは
存在確定ごっこ
なんだよね。
他者からの承認。
これが全てだ。
そしてそれが苦しみ。
この『存在確定ごっこ』が
苦しみだと気づいた人は
このブログに出会っているんしゃないかな。
また、この何者かになるという所有ゲームは、
とても刺激的だから、やめたくないと思いつつ、
このゲームに終わりがないことに気づいている人もいるのでは?
そう、
この『存在確定ごっこ』は
決して終わらない。絶対に満たされないゲームなんだよね。
実は、
この『存在確定ごっこ』ゲームから降りる方法はある。
それは、
全てが愛だと気づくこと。
頭の理解じゃなくて、気づき、ね。
これは、
信頼という在り方だ。
で、もうひとつ。
「全て」も、「愛」も、「信頼」もないのだと
気づくこと。
これは、
ただそうであるという、完全性に出会うこと。
このふたつは似ているよーで
全く違う。
『存在確定ごっこ』から
降りるか、
もしくは
『存在確定ごっこ』さえ
なかったと、気づくか、、、
まぁまずは、
『存在確定ごっこ』が苦しみだと知ることから、
かな。
