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混沌について考える。

久かたぶりに何度か劇場に足を運ぶ機会があり、気づいたらまた同じことを考えてしまう……。
見た演劇が、面白いとかつまらないとか、そういうことではなく……。

よく話の中に扱われる題材として、信仰の問題とか、人種差別とか、あとはなんだ……同性愛とか近親相姦とか身内殺し、親殺し、とかよくあるんだけれど、誰もが知っている有名な海外の戯曲にさえそういった要素が含まれていたりするんだけど、個人的にはそういうのを見ても全然ぴんと来ない。というか、よくわからない。

正直な話、少なくとも自分の身近な範囲では、信仰の問題(あからさまな衝突)などほとんど起こっていないし、人種差別(あからさまな衝突)も起こっていないし、同性愛も近親相姦ももちろんないし、身内殺し親殺しももちろんない(普通なかなかそういう体験しないだろう)。

だから、そういう話が世の中で起こっていることの問題の縮図として見せられても、私にはよくわからない。

実際、自分には、かなり距離感があるのだ。
(今ではテレビもほとんど見なくなってしまったから、そう感じるのかもしれない)

自分の周囲で起こっていることが、すっきりさっぱりしているとはもちろん言えないけれど、少なくとも自分の周囲で起こっている混沌とは、タイプが違うし、質が違う、と思ってしまう。

どうしても、ちょっと遠い混沌を性急に引っぱって来られた気がしてしまうのだ。

もちろん演じている人達にとっては、話の中で扱われる信仰の問題、人種差別、同性愛、近親相姦、身内殺し、親殺しなどの要素がどれだけ身近なものなのか、ふらりと観客として足を運んだだけの自分にはよくわからない。

ただ演じる側、舞台を企画した側の人達が、そういった要素に無関係な日常を過ごしていながら(おそらく、ほとんどそうだろう。どっぷりだったらすごい)何らかの奥深さを感じて、その上演する話を選んだということはあるのだ、と思う。

そうすると、また私は考えてしまう。奥深さって一体何なんだ……。

それは、やっぱり私にとってはかなり距離感のある、奥深さだから。

(もちろん過去において、そういうものを見て自分自身に共感みたいな心の変化が生まれなかったわけではない。でも浅い共感。どちらかというと、うっかり共感。というより別種の鈍感)

そして混沌について戻って言うと、
自分にとって身近な混沌はどういうものかと言うと、

「今までも大変な混沌でしたよね」

「現在も大変な混沌ですよね」

ってことが、まず強引に前提とされ、その割に、いろんなことが手際よく勝手に押し進められていくような混沌だったりする。