「初詣ず」
正月の三が日の街を歩くのが好きだ。
路地を歩き、外の冷気に身を置いていると、少しだけ頭がすっきりする気がする。
神社近くでは、人がそぞろ歩いており、境内に向かっては参拝客の列がもうできている。
吐く息白く、身を小刻みに動かし、ときおり談話しながらも、皆、律儀に自分の番を待っている様子だ。
参拝客とは別の人だかりが目につく。立っている人々の隙間から奥を覗いてみる……。
「猿や、猿がおる」
チョッキを着せられた赤ら顔の猿、寒さのせいか同じく赤ら顔した猿回しの男が見えた。
一人、何だかうれしい気持ちになって、そばに近づき、他の立ち見客と同じく足を止める。
猿回しの男より、猿の名前が紹介されたが聞き取れず、何とも残念。
人だかりの輪の中で、猿君は、すくっと背を伸ばし気をつけをして、深々とお辞儀をする。
竹馬に乗っては、かつかつ2、3歩くが、すぐに、ひょいと降りてしまう。
そして、赤ら顔の男に、くいっと首にくくりつけられた紐で引き寄せられると、気をつけをして、またお辞儀……。
しばらく見ていると、何だか胸がいっぱいになる。
本殿へと続く参拝客の列に合流しようと思ったが、気をつけとお辞儀ばかりが得意の猿を見てすでに、わたくしの胸はいっぱい。
身につまされそうな願い事しか、ひねり出せそうにないので、早々にドロップアウト。
こういうことは、やはり気持ちが大事だと思うのである。
しかし年の初めから神頼みってのも、まぁ、なんだな、と思う。
慣例だけれども。
そもそも初詣って寺に行けばいいのか、神社に行けばいいのかさえわかっていない、わたくしなのである。
どちらも受けつけてくれてはいる、のだけれども。
各地では、いろいろな神様がいることになっている。
人の人生においては、誰の手もくわえられず人智を超えた不思議なこと
(例えば、偶然の一致やめぐりあわせのようなもの。それがいい場合で表れることもあれば、悪い場合で表れることもある)は、ごく稀に起こるけれども、
そういうことを見聞きして、もしやこれは!?
と思ったりすることは、わたくしでさえあるけれども、
実際は誰にも、そういう不思議なことが起こった時、その事象に対して、
どう受け止めたらいいのか、
そもそも祈ったらいいのか、
祈るのであればその祈り方はどうしたらいいのか、
一体どこへ祈ったらいいのか、
そもそも近づき方さえ、
どこへ近づいたらいいのかさえ、
何もわからないのではないか、と思ったりもする。
それは落ち着かせどころなく、少し不安なことであるけれども、
そうした不安が、具体的な形を帯びた像を対象として作る動機となったり、
またその対象となる像の顔も、
ある地では心静まる穏やかな顔だったり、
別の地では身のひきしまる思いがする鬼の形相だったり、
という形になるというのは、興味深いと思うのである。
また同時にそんな落ち着かせどころのない不安を、わからないものはわからないままとして持ち続けることも、とても大事な気がしないでもない、と思ったりもするのである。
わたくしは、幼き頃より甘えん坊な人間として定評をいただいているので、そんな不安をわりと身近な範囲に落ち着かせてしまうところがあるのだけれど、
神からの目線というか、誰かに見られている(見透かされている)、あるいは見守られているかもしれない、という感覚は、つまるところ、生まれてから始まった親との目線のやりとりの延長線上にあるもののように思えるし、
(誰かに見られていることを意識することで、バランスを取り戻す人もいれば、その反対に著しくバランスを崩してしまう人がいることも、おそらくこの辺りに関係があると思う)
天啓というか、何というか説明がつかないが
「天の声が聞こえました。確かに聞こえました」なんていう、その辺りの話(真偽については何とも言えない)も、
まだ生まれる前のお腹の中、まだ目も半開きの静かなまどろみの中、お腹の皮を隔てて聞いていた、父親や母親の声(どんな声が聞こえていたかは、人による)をたどっているように思えたりもする。
また、わたくしとしては、そのように身近な範囲に帰結させてしまうことが、それほど味気ないことだとも、救いのないことだとも、思えないのである。
もちろん、確かなことなんて、わからないですけれど。
そんなことを境内の砂利を踏みしめながら考えているうち、足は自然に神社を離れ、甘栗の匂い漂う路地へと……。
そんなわけで、まだ初詣ず。
(行くかもしれないし、行かないかもしれない)
elaborated 2013.0121
P.S
その後、ご年配の知人に、初詣というのは神社に行けばいいのか、お寺に行けばいいのか、どちらなのかねぇ、とさりげなく聞く。ご返答としていただいたのは、初詣というのは新年を迎え、信仰というよりは、願い事をするというよりは、住んでいる地元の土着の神様に挨拶に行くようなものなのだそうだ。なるほど。
毎年、三が日は、ふらつき歩き、その度、違うところへ初詣していた自分は、何だったのか……とも思う。
2013.0204