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「美しさの、置きどころ」


「美しさ」というものはつくづく扱いが難しいものなんだな、と思う。


例えとして、

美しく生まれついたはずの女性なのに、遠くから見ていて、不思議と、何処かしら所在無げな感じ、何か落ちつかない感じを受ける、ということがある。


それは本人が他人に見られていることを意識しているからだよ、という人もいるが、それほど生易しいものでもないだろう、という気もする。


思うに、あまりに美しく生まれついてしまった人というのは、鏡を見るたび、高い自己効力感が得られるようなことの引き換えとして、

自分自身でさえ、一体何処に身を置いたらいいのかわからない状況に陥る、ということもあるのではないだろうか(なったことないんで、正確にはわかりませんけど)。


要は、自分自身でさえ、その「美しさ」を上手く扱いきれない、ということだ。


それだけに、
美しく生まれついたはずの女性が、
あれ、おかしいな?
どうしたのかな!? 
というくらい身を持ち崩していく様を見聞きすると、
他人事ながらも、声を失う。


こういうことは、何も容姿に限ったことじゃなく、

何かを作り出される方にとっても、あてはまるように思う。


何かを作り出される方は、自分の理解のずっと先の物を作ろうとする傾向があるように思うので、


作ってしまったその結果として、

「おいおい、自分でもとんでもなく『美しいもの』を作り出してしまったな……」


そんな感慨に耽る間もないままに、


「一体、これ、この物をどうやって扱っていいのか……自分でさえ、わからん」


という恐れにも似た思いに駆られることも、稀に起こるのではないかと推察する。



そういった場合、うっかり、すっかり取り囲まれている状況によっては、


本人が気づいているところ、気づいていないところで、


のっかられたり、

持ち上げられたり、

借り物の狂気を持ち寄られたり、

いたずらに善悪に結びつけられてしまったり、


何かが大きく損なわれてしまう大変な思いをされることも、少なくないのではないか。

(個人的に「美しさ」は、人が持つ観念的なものと、およそ結びつけられるような領域じゃない気がする。ただただ慄然とそこにあって、どうしたらいいかわからないもの(当の本人でさえ、扱いがわからなくなるという状況を思えば尚更に)。それだけに強引に観念的なものと結びつけられている様子を目にした時には、かえって違和感が際だって見えたりする。あ、そっちに寄せちゃったんだな……とか)


「わたしも、あんな風に美しく生まれついていたらな……」

「僕も、あいつみたいに格好良かったらな……」

「俺も、あれほどまでに偉大な作品を……」


そんな単純なことではないよな……とも思うし、

深く考えると、けっこう身震いがする。


美しく生まれついたこと、

美しいものを産み出せること、

(幸い、わたくしにはどちらも縁遠い……う、う~む、よかった)


そういうことと、幸せになれるかどうかは、全くの別問題だと思うのである。


置きどころによっては。




2014.3.26 first draft
2014.4.01 polished
2014.6.09 polished