整理と客観。
整理のされていない物は、すぐに使えない。
整理のされていない環境にいると、すぐ行動にうつれない。
整理のされていない物は、客観的に見ることができない。
より客観的に見るためにこそ、整理が必要だ。
何のことか。自分の部屋のことだ。
部屋の整理をし始めているのだが、くたびれてしまっている。
買って、一度ぐらいしか聞いていないCD。
買って、一度だけ読んだ本。
買ったものの、一度も読まれることなく埃を被った本もある。
部屋は人を表す。きっとそうなのだろう、と思う。
私の部屋を、誰かが見たなら「さてさて、お前は一体、何になりたいんだい?」とおそらく指摘されてしまうに違いない。
未整理な部屋は、未整理なままの自分を表しているようで、落ち着かない時が私にはある。
不要なものを売ったり、捨てたりとしていくうち、部屋を整理しながら気づくことがある。
それは、部屋に置かれている物が少なくなればなるほど、置かれている一つ一つの物について、真剣に考えたりするようになっていく、ということだ。
迂闊に変なもの物を自分の部屋に置きたくなくなっていく、のだ。
今まで音楽をちゃんと聞く耳を持って聞いていたのか。
今まで本をちゃんと読めていたのかどうか。
本当にこれが好きだったのか。
物を手に取るたびに、そんなことを自問自答するようになった。
それは部屋にある物が減った分だけ、一つ一つの物について考える時間ができたゆえだと思うのだけれども。
一方で気になるのは、巷で芸術家と呼ばれているような強い美意識を持っておられる方のお部屋のことである。
果たしてどんなお部屋なのか……。
足を1歩踏み入れただけで、ひりひりするような心地がするお部屋だろうか。
置かれている物、全てが選びぬかれており、位置も考えられており、緊張を過度に強いられる、お部屋であろうか。
(部屋の快適さとは、「落ち着く」という気持ちだけじゃなく「適度な緊張」も伴うものだと私は思っている)
……気にはなるが、私はそんなお部屋に、あまりお呼ばれしたくない。
2010.9.14