映画「レスラー」を見た。
かつて華やかだったレスラーの、成れの果ての映画だ。
着ている服もぼろぼろで、体もぼろぼろ(内側も外側も)で、家庭もぼろぼろで、人生もぼろぼろだ。
みんなぼろぼろだ。
主人公がいつも着ている、擦れて色あせたダウンジャケットがとても印象的。
私は、ミッキー・ロークという俳優さんの全盛時代だと言われる頃の映画を見ていないので、当時の人気振りがわからない(有名な猫パンチ事件もあまり知らないし、その映像を見たことがない)。
過去の細くて端正な顔をした写真を見て想像するばかりだ。
この映画での体づくりは、本当にプロレスラーとして説得力のあるものだったと思う。
指の一本、一本まで太く鍛えてある。
この映画は熱心なプロレスファンほど、頷けるエピソードに満ちているのではないだろうか。
プロレスは八百長だとか云々は置いといて、レスラーが命がけで試合をしていることは確かだ、と思った。
なぜ、レスラーは自ら血を流してまで、体を破壊してまで、リングの上に立ち続けようとするのか。
私には簡単に理解できないのだけれど、この映画で少しだけ垣間見ることはできた気がする。
途中、抑揚をおさえていながらも丁寧な描写に、まるでドキュメンタリー番組を見ているような錯覚におちいった。
平行して描かれる、主人公が恋心を寄せるストリッパーの女性も印象的。観客を魅了させないといけないという点で、レスラーと共通した境遇を持っているから。
ストリッパーは性欲という部分で、プロレスラーは闘争という部分で、どちらも観客の本能を掻きたてるためのショーを行っている。
どちらも生身の体一つだけが資本。老いの影響をダイレクトに受ける職業でもある。
それだけに彼らは人並み以上、「生」に真正面からぶつからなきゃいけない。
そしてその実感こそが、彼らを再びリングやステージに呼び戻すものなのかな、と思う。