次の日

動物病院に連れていきました


喧嘩をしたのか

カラスにでもやられたのか

左頬には穴が開いていて

歯もボロボロでした


爪や歯を見る限り

かなりのおばぁちゃん猫なので

傷の消毒ぐらいで

後は何もせず

穏やかに過ごさせてあげた方が良いと

獣医さんに言われました


連れて帰ったすずは

数日すると嘘みたいに元気になり


膝に乗ってきたり

甘えた可愛い声ですり寄ってきたり

低い声で文句を言ったり

可愛くて可愛くて


ずっと一緒に暮らしてきたかのように

すっかりウチの子となりました


その頃

母と祖母と暮らしていた私は

今の主人との結婚が決まり

数ヶ月後には新居への引っ越し

結婚式も控えていました


新居ですずと一緒に暮らせるのを

主人と楽しみにしていました



ですが

それからほんの数週間で

すずの体調が悪くなってしまったのです


今思えば

最初の動物病院では

もう長くないと思われたのか

血液検査も何もしていなかった


あの時の私は無知で

自分から検査をお願いする

知識も持ち合わせていなかった


私は仕事を休んで看病しましたが

すずはとうとう

自分の足で立つことも

食べる事も排泄さえ

ままならなくなりました


もともとガリガリに痩せていたのに

更に痩せ細り

鳴くこともできなくなりました


主人が仕事が終わると

急いで駆けつけてくれて

毎日点滴に連れて行きました


もう一度元気になって!

新しいお家に一緒に行こう!


願いも虚しく

日に日に弱っていき


桜舞う暖かい日…

4月4日

私の腕の中で亡くなりました


腎不全でした


私は生き物を看取るということが

生まれて初めてで


今まで動いて息をしていたのに

まだ暖かいのに

全く動かなくなり

身体から力が抜ける瞬間

あの時のショックは忘れられません  



母が

きっとテトが猫になって

さよならしに来たんだよって

言っていました


そうなのかなぁ


そうだとしても

そうじゃないとしても


すず

ほんの数週間だったけど

私の元に来てくれて

幸せな時間をありがとう

大好きだよ


そして、テト

迎えに行ってあげられず

最期に一緒にいてあげられず

ほんとにゴメンね

愛しているよ


大切な大切な

雪のように真っ白な犬と猫


次に動物を飼う事があるなら

その時は

赤ちゃんの時から

お空に行くその瞬間まで

ずっとずっと一緒にいてあげたいと

そう思っていました


アルタ、ベガ

何があっても離さないからね

ずっとママの側で長生きしてね

いつもほんとにありがとう



もしもあの地震がなかったら


私はあのまま普通に

あの時の彼と結婚し

テトも一緒に

暮らしていたかもしれない


そしてきっと

今は存在さえ知らない人達との

出会いがあったのかもしれない


でも

あの日がなかったら


今の主人や娘

大阪の地で出会った友人達とも

そして

すずやアルタとベガとも

きっと出会っていなかった



人生に

『もしもあの時』はなくて

あの時があったから今があり

今の自分がいる


その時その時を受け入れ

生きていくしかない


人は無力だけれど

必死で今を受け入れ

ただ前を向いて生きていく

そうするしかないのだけど

そうする強さを持っているんだと


毎年震災の特集をテレビで見ながら

そんなコトを感じます



この日常で例えば何か

うまくいかない事や

傷付けられたり

理不尽な出来事があっても


家族がみんな笑顔で側にいる

支えてくれる人達がいる

それだけで十分


当たり前を当たり前とは思わずに

この瞬間を愛しく

ありがたく思いながら

毎日を過ごしていこう


そう思います



長い文章を読んでいただいて

ありがとうございました



アルタとベガが

ウチの子になった日の

家族写真です