20年前の3

ちょうどこのぐらいの時期


とても愛しい愛猫すずとの

出会いと別れがありました


もうすぐ20回忌なので

記しておきたいと思います


3回に渡り長文なので

興味のない方は

スルーしてくださいね



すずのコトを語るには必要な

愛犬テトのコトから

書いていきたいと思います


話は私が中学3年生

14歳まで遡ります


西宮に住んでいた頃


雪のように真っ白な

秋田犬の女の子テト

ウチの子になりました


母の友人の家で

何匹か生まれた中から

1番怖がりで甘えたな子を選びました


タレ目で頼りなげな様子が

それはもう可愛くて愛しくて

私が守ってあげなきゃって


その日からテトは

私の1番の宝モノになりました


テトも私に1番懐いていて

いつもいつも私の部屋の窓の下で

私が顔を覗かせないかと

2階の窓を健気に見上げていました



私が大学生になった時

バブルの崩壊で

父の会社がうまくいかなくなり

家を手離さなければならなくなりました


大きな体のテトを

室内で飼う訳にもいかず


手離す話も出ましたが

毎日テトを抱いて泣く私を見て

母が無理をして

小さな借家を借りてくれました


ほとんど夜逃げ状態で

持って来られなかった物も

たくさんあったけれど


私はテトと暮らせる事になっただけで

ホッとしました



それから1年も経たない

117日のあの日


阪神淡路大震災


あまりの揺れに

まさか地震だとは思わず


怪奇現象かと本気で思ったほど

体験したことのない揺れ方でした


テトもブルブルと震えていました


幸い家族は無事でしたが

家は半壊


大家さんが修繕費は出せないから

家を出てくれと



その頃

私は神戸の大学に通っていたのですが

妹と弟はそれぞれ

大阪の中学・高校に通っていました


大阪は地震の影響もなく

学校も普通に授業をしていて


交通機関がストップしていたので

西宮にいては2人が学校に通えない


道路は地割れがひどく

水道もガスも電気も止まっていて

普通の生活も出来ない


生まれてから

20年以上を過ごした西宮を離れ

大阪に引っ越す事になりました



短期間での災難続きで

金銭的にも

大阪でテトを飼えるほどの一軒家を

借りる事は出来ず


その頃私がお付き合いしていた

彼の田舎のおばぁちゃんの家に

預かってもらう事になりました


二度と会えない訳ではないけど

離れるのが辛くて

ずっとずっとテトを抱きしめて

泣いていました



生まれ育った地を離れ

大事な大事なテトまで手離して

ただただ悲しくて虚しくて

とても辛かったけど


働いた事もない奥様だった母は

血を吐きながら仕事に出て

私もまた

新しい生活に慣れるのに

必死でもありました



続きは明日更新します

お読みくださりありがとうございます



アルバムも残ってなく

唯一あるテトの写真です