


こんばんは~。 今日はトレーニング45日目。予定が無い日がひさしぶりで嬉しくて読書に耽ってました。
カズオイシグロさんの『私を離さないで』という本は半分くらい読んだまま放置していたので、その続きを読んでいて
気付いたら三時間半たっていました。(笑)あれ。
後半引き込まれましたね。
30分くらいの感覚でした、、、。ネタバレしますので、読みたくないかたはスル~していただけると嬉しいです。
カズオイシグロさんの書き方が、とてもきれいでするすると進む感じで、読み終えたときに疲れを感じさせないというのは、ストーリー自体が過ぎ去った過去の思い出を静かに懐かしむという印象で描かれているためだろうか。
霧がかかっているようなもやがかかっているような、でも晴らそうとはしない、出来ない無力感があったけど、それも主人公の性格上、望んでいたことかもしれないと最後には思った。
主人公の女性キャシーによる叙情的な表現が多いため、まぁ、人によっては読みにくさを覚えるのではないか。
(私もどちらかというと、主観と感情が強めな文章自体が苦手で、その手の小説は開幕3ページくらいで諦めたことがある、、、。)
でも、なんとか中盤、少しずつ感情移入できそうになるところまでたどり着けたと言う感じ。
とくにこれとってユーモアがあるわけでもないが、淡々と思い出がそのままに美しく、日常が楽しいこととそうでないことも含めてきちんと丁寧に描かれている。
性格的に相手に合わせる方というか、自分が自分が、というより相手の幸せや繋がりに重きを置くタイプの、協調性のある主人公のキャシー。
ガンガン出てくとか振り回すとか、盲信的なタイプじゃなく、ゆとりがあっておおらかで、かつ冒険心もあり事実を知る勇気がある、落ち着いたタイプだなーっていうのは子どもの頃から変わらずでした。
終始、この人は人生損するタイプだなって感じの控えめさがもどかしくもあった。もっと言っちゃえよ!と。(笑)でも大人であれば、とても信頼できるタイプ。
私なら、、、ぐぬぬ。という。ちょっと悔しい!というシーンがちょいちょい出てくる。モヤモヤもやもや。
でもだからこそ感情移入できたのも、事実だけど。親友の子は逆のタイプで、自信がないのによく吠えるような、チワワみたいなやつで、上に媚びたり、下に偉ぶるような子。(笑)
でも、事実は認めない。譲らない。主導権は渡さない。こどもの子どもたる特権をフル活用するようなタイプ。
だけど、話は合うし、友達も選べるほど豊かな人生じゃない。そんなわけでずっと繋がってる。
子どもの頃の小さな世界が、不思議に美しく、だけど現実味を帯びて描かれており、さらにその後のそれぞれの人生も、穏やかに色あせることなく描かれている。
それが、劇的ではないが、儚く、美しい。
平凡な幸せの尊さを描きたかったのかもしれない。水彩画を観ているような気分になるストーリー。
だんだんと広い視点から描いていき、くっきりと、徐々に浮き彫りになっていく。気がついたときにはほとんど手遅れと思われるのだが、そこからまだ諦めずに、またあがく。そこがいい。
本当にうさぎとカメのカメさんタイプ。
心底カメさんの幸せを祈って読み進める。
この物語の全体像は、引きで見ると生きてくる。近くで見ていると機械的で冷たく感じる。
トミーの描く『近くで見ると機械的でネジやラジオの裏側を開けたような絵だが、引きで見ると小動物に見える』
という? 絵のようなストーリーなのかもしれない。
社会福祉のシステムなど一つとっても、一つ一つは事務的でシステマチックだけど、先生や介護人は一定の距離感が必要だけど
それを構築するためにどれだけの思いがあったのか。どれだけの努力があったのか。
大きな力の中で小さな生き物が声をあげても、すぐにかき消されてしまう。 丁寧によく見なければ気がつけないんだ。
『トミーは最初から気がついていたのでは?』とキャシーは言う。(臓器提供の為につくられたクローンであるという事実)
だから子どもの頃よく癇癪を起こしていたのでは、と。
この観察力や独特な発想から、他の人にはない鋭い直感力があると思ったのかもしれない。
そんなマダム達の努力と気持ちと、態度とが、トミーの絵には、繋がっているんだと思う。わたしもそうであれば良いと思う。
もっというと、親友のルーシーも態度こそ、幼稚で、色々難ありだけど、最終的には親友達への愛で溢れているというのは、とても救いだった。
『握りしめていた手を、大きな流れの中で離さなければならない。』
というような言葉が二回ほど出てくる。人生とは思うようになることばかりじゃない。常にずっと同じと言うわけにはいかない。素晴らしい時間も永遠には続かない。
主人公が思うときもあれば、トミーの口から言われるときもあった。二人の感覚は似かよっていると思うことが多かった。
タイトルの『私を離さないで』はある思い出のカセットテープの曲のタイトルだが、まさに、この気持ちはみんなが持っているのかもしれない。
それは特殊な状況下で産まれた命だからか、臓器提供の使命があったからなのか、クローンであったからか。
そうでなくてもだろう。
この物語は決して他人ごとには思えなかった。それ故に、最期まで読むのに苦労した。
退屈さや、単純な不快感ではなく、良い意味で苦しめてくれる作品だった。私たちの人生に重要な関連性を持つ内容を含むからだろう、と思う。
ある意味ではいつも冷静だった彼女。最期に一瞬だけ、自分を許す。
たった一瞬。泣くこともしなかった。
どうしてこんなに強いんだろう。そして、どうしてこんなに優しいんだろう。どうして耐えられるんだろう。
私だったらトミーのように荒れ狂ったんじゃないだろうか。牛も暴れ出すほど。そうでなくてどうして受け入れられるんだろう。
大切なことを見失わず、自分を信じる強さを持って。思い出も、親友も愛も、すべてしっかりと抱きしめていられる強さ。介護人についてから自分の良い点が生きるようになったとキャシー自身が自覚している様子だった。
多くの提供者を見てきて、何を思うんだろう。優秀な介護人としての人生に何を思うだろう。彼女が介護人から、提供者になったとき、何を思うんだろう。
泣き言のひとつでも、弱音のひとつでも、言ってくれるのかな。いや、きっと言わないだろうな。
キャシーが取り乱さないのは
これから取り乱すからじゃない。
もうひとしきり取り乱した後だからだ。
子どもの頃からずっと、世の中をしろうとしてきた。目を逸らさず。
トミーの苦しみを自分のことのように見守ってきた。誰より冷静に。
社会の光と闇。
そして強く優しい人の話だったと思う。
静かに、だけど長く、心を揺さぶる。ぜひ、最後まで読むことをおすすめしたい作品。
愚行録読み終えた。
読みはじめはぬるい説明や、表面的な評判のみな感じで、なかなか、このテンポで進むのであれば苦手だなぁ、最後まで読まないかも
と思っていた。
中盤から後半は内容がしっかり入ってきて良かった。光と影の、両面を描くことで、よりくっきりとその人間の色が見えてきた。
美しいだけのマネキンが人格を持つように。命が宿るように。その色を持ちはじめた。
ひとつの幸せな家族が壊れてしまう、一家惨殺事件。
序盤からしてどうにも影が多いものにならざるを得ないテーマではある。
この被害者家族がなぜこのような目に遭うのか、その原因を探るという目的のもとにインタビューしていくように一見見える。
(実際には別の目的があったのだが)
一人一人の人生を話すときに、それを主観的にみるか、客観的事実からみるのか、
もしくは完全に他者の視点から見るのかで、事実は大きく色を変えていく。
それはなぜか。価値観というフィルターを通さずに語ることが不可能だからだろう。
黄色いフィルターを通せば、青色は緑色に見える。
その面白さを利用して、とても興味深い描き方をされている小説だった。時には真っ赤なものでも、白いフィルターを通してピンク色に見えてしまうのだから。とても怖いなぁと思った。
最初から、真っ赤なフィルターしかつけられない人がいたとしたら。
真犯人のように。
白い物も、黄色い物も、青いものも全てどす黒い色に変わってしまうのではないか。
被害者と関わりがある方たちの
それぞれの主観による価値観がベースとなって展開されて行くが、所々で好意的に受け止めていますけど、といいながらもぶっちゃけあーだこーだと事実関係を説明してくれるのだ。人ってやっぱり人と話したいし、自分の話をしたいんだよなって思う。
一人では受け止めきれない事態があちこちに転がっている。なまじ勘が鋭いだけに、無駄に殺されてしまったという人もいた。
中途半端にこうかも、きっとこうだろうなぁっていう感覚をさらけ出してしまうところが結果的に大きなミスとなってしまった。
つまり、実は『なんとなくだけど、薄々こう思う』が、透明なフィルターに近い場合があるのだ。だからこそ、薄々こんな、気がするという直感、感覚は大切にしないといけないと思う。
このインタビュアーは怪しい、と気がつくべきだった。全てに気がついていても、口にすべきではない、バカのふりをする賢さというのもあるのだ。
色々な人生のステージの中で思い通りにいかないことがほとんどかもしれない。
だが、もし思い通りに周りを操れるような人間がいたら、一度も失敗することなく。
それこそ被害者家族の夫婦のように。
それは周りからはどう見えるのだろうか、類友とは言え、裏の裏をかいて、更にはその裏をかいて愚鈍にふるまう賢さまでも持ち合わせているのが被害者夫婦であったのだろう。
後になって分かるような点もあり、本当にこの夫婦は、それで幸せだったんだよね?と思ってしまった。
脇を固める知人達の疑問や、違和感については理解できるが、被害者夫婦の感覚は通常とはかなりかけ離れていて、いわゆるサディストであったりマキャベリストであったり、ダークトライアドと言われている人達の感覚なのではないか?と感じた。それそのものなのかもしれない。 なんらかの理由で、たまたまその時、そのタイミングでは、小賢い人間だっただけだろうか。
あまりにも徹底的に打ちのめしてやろう、もう二度と立ち上がれないように、もう二度と自分の立場を脅かすことのないようにしてやろう、そんな意図が、この夫婦からは伝わってきた。 一度ちょっとやり返してやろう、などと言うものではなかった。その点が実に不気味だった。
そう言った意味で、とても興味深い作品だった。
通常は頭で理解していても、理性や感情という人間の最もたる核心の部分で揺らぐであろうことにまるで抵抗がなかったのだから。
詐欺師は詐欺師の格好をしてやってこないということなのだろう。
ミステリー小説であれば、謎や事件そのものを紐解くような作りの物が多い中、愚行録ではその対象が、被害者家族の人格そのものとなっている。
ミステリアスにみえない、一見裏のない善良で愚鈍で、理想的な人間の裏の顔が焦点となる。
様々な人の話を聞いていて思うのは、人は見たくない物は見ない、信じたい物を信じる。
真実などというものを突きつけられて喜ぶ人はいないのだと。
それが善良な人の弱さでもあり、しかし美徳でもある。
たとえ、賢くなくとも正しくなくとも、愚かでも、弱くても。それはやはり美しいと感じる。
ただ人を信じて素直にだまされている人の心はこの話の中で救いだった。
何もかも全ての仕組みを理解した上で受け止めた上で、人を利用し、捨て、貶め、平然といられるような人になってまで、幸せや安定を掴みたいと思う気持ちが、誰に理解できるだろうか。
これ以上は言うまい。
そんな本でした。惑わされず、自分の心に素直に、読むことに意味があると私は思う。
おわり