お姉ちゃんの教科書を勝手に読む末っ子姫

隠し撮りした、、、。(笑)
最近は読書が趣味です(無理してる可能性もあるが)
お姉ちゃんたちが教科書を読むってことが大切って 教えられているから、自分も読もうと、(そして褒められようという魂胆がたまに透けて見える?)かわいい末っ子です。
一応おもしろいらしく、絵もついているし、よんでます。
私もお姉ちゃんの教科書とか参考書とか英語の本とか、自分が教わっていないことを知りたくて、こっそり読んだりしました。(笑)
何学年か上の勉強って実は今習っていることをもっと分かりやすく噛み砕いて細かいところや見えない部分も見せてくれるんで、すっきりするんですよね。
ところで、突然
すごいことに気がついた次女が、目を輝かせて言っていました。
小さい赤ちゃん用の滑り台は、赤ちゃんは滑れるけど子供はお尻が大きくて滑れない!
でも、大きい子どもようの滑り台は、赤ちゃんも滑れるし子供も滑れる!
てことは、赤ちゃんの勝ちじゃん!!!』
って言っていました。
どっちの勝ちでもいいわ!
というのは置いといて
『まぁ、大は小を兼ねるよね。』
って思ったには思ったんだけど、
その次女姫の表情とか言い方から察すると、伝えたいニュアンスはそうじゃなくて
たぶんこういう意味合いがあるんじゃないのかなと思ったんです。
ふつうの価値観と逆転の発想というか。
一般的に、赤ちゃんっぽいなんて恥ずかしい!みたいな、下より上がいい、少ないより多い方がいい、小さいより大きい方がいい!
という優越性が存在する気がするんだけど
『小さい子ようの滑り台って面白そうだなぁ』っていう純粋な次女姫の気持ちから生まれた言葉だと思うんです。
例えば、お金だったり、時間だったり、ゆとりだったり物だったりでもそうだし
【この位の量で満足、コレさえあれば満足】
っていう心や体の器みたいな、胃袋みたいなものが一人一人あって、それが小さい人って、少しの金額で楽しめるし、幸せになれる。自分の味覚を知っていれば好きなものを選べる。
人って幸せになるために生まれてきてるじゃないですか。
自分を簡単に幸せにする方法を知っている、自分が幸せになれることを知っているって重要ですよね。
たぶん小さな滑り台に満足できる人は大きな滑り台も楽しめるけど、小さくても楽しいんですよ。
で、大きなお金や大きな時間、大きな活動、大きなゆとり、大きな感動でしか満足できない胃袋の大きくなっている人だと、小さな滑り台はやっぱ滑れないんですよ。それだと足りないってなっちゃう。
で味覚音痴だからとにかく味の濃いものをばんばん詰め込んでしまうんですよ。
で、成人病とかになるんですよ。
(話変わってないか)
どんどん大きな滑り台じゃなきゃだめになっていくんじゃないのかなぁ。
それって小さい方の勝ちじゃん!
っていうのは真理じゃないかなって思うので
次女姫は哲学的だなぁって思いました。
どのくらい小さい滑り台で楽しめるのかっていうのを追求してみると、お尻が小さくなるかもしれないですねぇ。
ちょっと座禅とかにも近いかもしれないですけどねぇ。
私の場合は割と斉藤和義さんのライブ映像が見れて、手芸できて、筋トレできたら幸せっていう感じですねぇ。
おわり