みんな色々心配してくれて
メールやコメントありがと!
行って来たいわきのコトを報告しておきます。
ガソリン不足や交通規制の為道は空いていて以外と早く着き、まずは田舎の家へ。
常磐道いわき中央から四倉までの道沿いにある店はコンビニを含め一件もやっておらず、車は自衛隊の車と一般車が少し走っているだけ。なんか人気がなくて怖い位だった。
家に着き父ケンジ、おじいちゃんの安否を確認。とりあえず物資をほとんど車から下ろし仕分けをしていたら、父ケンジの携帯に着信履歴がある事に気づきかけると…おばあちゃんの老人施設からであった。
夕方に急遽受け入れ先が決まって、施設ごと埼玉県越谷の施設へ強制自主避難をしたとのこと。
そう、私と母トモコは入れ違い…
でも、これでおばあちゃんは安全な所へ移ったのでカラダの事は安心である。
老人施設へ持っていこうと思っていた野菜や玉子やインスタント食品は近所の家へ配り、野菜ジュースやレトルトのお粥、紙皿、紙コップ、ウエットティッシュやマスクなどを近くの避難所へ。
家に帰り、これからの話。
結局、おじいちゃんはおばあちゃんがいたからだけではなく家を離れたくないらしい。
父ケンジはとりあえず、誰にも会わず知らない所へ運ばれたおばあちゃんがかわいそうだから、私達と一緒に越谷に行き会って来ると言う事に。
そして父ケンジは3日後には、おじいちゃんを1人にしておけないのでまたいわきに戻ると…
父ケンジは風評被害だと言って、全く放射線を怖がっていない。
おじいちゃんはたとえ被爆したとしても、この歳まで生きたので後悔はないと言う。
何か、切なくなった。
今、福島は原発がある事により避難する人が何万人と居るらしい。
営業するスタンドには開店前から100台近くの車が並んでいた。
これは避難したい人だけではない。
自宅に居られる人達も、水道が出ない、店はやっていない。
先日父ケンジはいわき市街へ買い出しに行き3時間並んでやっと店に入ったらしい。
どこかまで買いに行かなくては行けないのにガソリンがないことにはどうにもならないからである。
ちなみに、水は給水車が来るけどみんなに行き渡らないこともあるらしい。
しかし、作業する人もいなく水道は復旧の目処が立っていないらしい。
海沿いの道は津波が来た時のまま、車が積み重なり家が流されたりしていた。田舎の家の近くも古い家屋は倒壊したままであった。
きっと当分このままだろうな…
どんどん避難する人が増え、残って行くのは自力で避難できない老人や、地元を離れたくない年配層なのに住む環境は改善されていかない…
そんな、田舎の町を後にし
次の日の朝には父ケンジ、母トモコと越谷へ向かった。
無事おばあちゃんとも再会。
iPhoneでおじいちゃんのビデオレターも撮って来ていたので見せると言葉の出ないおばあちゃんは涙を流し喜んでくれた。
それから、おばあちゃんの施設の相談員の人とも会い経緯を聞いた。
震災後、ガソリンがなく出勤できない人も多く、更には原発の問題が大きくなるとともに職員がどんどん減ったと言う。
それでも、ココに最後までいます!と言ってくれる若いスタッフと共に物資が届かない中なんとかやっていたが、食事とかまで手が回らなかったと。
土曜日にはついに3人のスタッフしかいなくこのままでは50名の入所者の命が危ないと感じたのだと言っていた。
だから、朝父ケンジが施設で人手が足りないと聞いていた所から、一気に状況が変わり、受け入れ先が決まったので直ぐの移動になったらしい。
きっと、いわきには他にもたくさんこのような施設があるのだと思う。
災害だけでなく、原発の問題が人災を引き起こし兼ねない現状が…
とにかく、原発の問題が落ち着いてくれることを願うしかない。
そして、ワタシが今ここでできるコト
しっかりしていこうと思う。
日本はこれからが勝負だね。
でも、日本は絶対に大丈夫だって信じたい。
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ガソリン不足や交通規制の為道は空いていて以外と早く着き、まずは田舎の家へ。
常磐道いわき中央から四倉までの道沿いにある店はコンビニを含め一件もやっておらず、車は自衛隊の車と一般車が少し走っているだけ。なんか人気がなくて怖い位だった。
家に着き父ケンジ、おじいちゃんの安否を確認。とりあえず物資をほとんど車から下ろし仕分けをしていたら、父ケンジの携帯に着信履歴がある事に気づきかけると…おばあちゃんの老人施設からであった。
夕方に急遽受け入れ先が決まって、施設ごと埼玉県越谷の施設へ強制自主避難をしたとのこと。
そう、私と母トモコは入れ違い…
でも、これでおばあちゃんは安全な所へ移ったのでカラダの事は安心である。
老人施設へ持っていこうと思っていた野菜や玉子やインスタント食品は近所の家へ配り、野菜ジュースやレトルトのお粥、紙皿、紙コップ、ウエットティッシュやマスクなどを近くの避難所へ。
家に帰り、これからの話。
結局、おじいちゃんはおばあちゃんがいたからだけではなく家を離れたくないらしい。
父ケンジはとりあえず、誰にも会わず知らない所へ運ばれたおばあちゃんがかわいそうだから、私達と一緒に越谷に行き会って来ると言う事に。
そして父ケンジは3日後には、おじいちゃんを1人にしておけないのでまたいわきに戻ると…
父ケンジは風評被害だと言って、全く放射線を怖がっていない。
おじいちゃんはたとえ被爆したとしても、この歳まで生きたので後悔はないと言う。
何か、切なくなった。
今、福島は原発がある事により避難する人が何万人と居るらしい。
営業するスタンドには開店前から100台近くの車が並んでいた。
これは避難したい人だけではない。
自宅に居られる人達も、水道が出ない、店はやっていない。
先日父ケンジはいわき市街へ買い出しに行き3時間並んでやっと店に入ったらしい。
どこかまで買いに行かなくては行けないのにガソリンがないことにはどうにもならないからである。
ちなみに、水は給水車が来るけどみんなに行き渡らないこともあるらしい。
しかし、作業する人もいなく水道は復旧の目処が立っていないらしい。
海沿いの道は津波が来た時のまま、車が積み重なり家が流されたりしていた。田舎の家の近くも古い家屋は倒壊したままであった。
きっと当分このままだろうな…
どんどん避難する人が増え、残って行くのは自力で避難できない老人や、地元を離れたくない年配層なのに住む環境は改善されていかない…
そんな、田舎の町を後にし
次の日の朝には父ケンジ、母トモコと越谷へ向かった。
無事おばあちゃんとも再会。
iPhoneでおじいちゃんのビデオレターも撮って来ていたので見せると言葉の出ないおばあちゃんは涙を流し喜んでくれた。
それから、おばあちゃんの施設の相談員の人とも会い経緯を聞いた。
震災後、ガソリンがなく出勤できない人も多く、更には原発の問題が大きくなるとともに職員がどんどん減ったと言う。
それでも、ココに最後までいます!と言ってくれる若いスタッフと共に物資が届かない中なんとかやっていたが、食事とかまで手が回らなかったと。
土曜日にはついに3人のスタッフしかいなくこのままでは50名の入所者の命が危ないと感じたのだと言っていた。
だから、朝父ケンジが施設で人手が足りないと聞いていた所から、一気に状況が変わり、受け入れ先が決まったので直ぐの移動になったらしい。
きっと、いわきには他にもたくさんこのような施設があるのだと思う。
災害だけでなく、原発の問題が人災を引き起こし兼ねない現状が…
とにかく、原発の問題が落ち着いてくれることを願うしかない。
そして、ワタシが今ここでできるコト
しっかりしていこうと思う。
日本はこれからが勝負だね。
でも、日本は絶対に大丈夫だって信じたい。
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