とりあえず、すぐ分かる検査での再発ではなかった

 

 

だからといって

 

「安心ですね」

 

とはなりませんが

 

 

 

 

首から上に確定的に癌があって、どんどん膨らんでいる

という地獄の主観世界ではない今に感謝したいです

 

 

 

 

まあ、痛いのはすごく痛いので

 

がんじゃないからって予断を許すわけでもないですが

 

死に至る病は癌の専売ではないのだ

 

 

 

 

自分の中で、葛藤があったのは

 

「病院に行きますか?」

 

という悩みで、なんなら診察時刻の2時間前まで、行かない、という選択肢がありました

 

 

 

と言うのは、もし診断がついたところで

できる選択肢は抗がん剤しかない

(手術×、放射線×)

 

 

 

そういう状況下において、医師から

「再発してますね」

 

という宣告を受けることは、わたしの精神に致命傷を与える可能性がある

 

 

 

それならモヤモヤしている状態のキープの方がまだマシではないか?

どうせわかったとて何もできないのなら知らぬが仏ではないか?

 

 

 

 

という感じです

 

 

もちろん、週一回のオプジーボを100回以上やって抑え込む選択肢はあり

生きることを考えれば、早めに見つけて早めに投薬したほうが勝敗は良い

 

のですが

 

 

障がい者手帳3級で医療費免除になるのは東京では無理で

住む都道府県を選ばないといけない

 

喉頭全摘した方は、ほぼ間違いなく、この3級医療費問題に直面して引っ越している

 

 

わたしが

「独りぼっちで、闘病のために新しい物件に引っ越して住民票をうつせるのか?」

 

となると答えはNOで

この舌と声帯のない闘病を独りでのりきっている人間は

わたしの知る限りアルマさん+1名しか日本におらぬ…

 

 

 

そこまで大変な抗がん剤治療をして、わたし、アルマがこの世界に残存することって誰が望んでるの?

という、悲しい自己認識がありました

 

 

 

 

 

 

闘病仲間で、ご両親とかパートナーとかに

 

「何が何でもいなくなって欲しくない」

 

と、素直に支えて貰えている人が本当にうらやましくて

 

 

 

 

わたしの場合、むしろ逆で

 

「そんなに辛いなら(タヒれば?)」

「がんになって、仕事しないでラッキーくらいに思ってるんだろ?」

「がんになって、誰にも言わずに亡くなっていく人はエライヨネエ…|д゚)」

 

くらいの嫌味とか言われ続けてきましたので

 

 

自分の命に対する自己肯定感、有用感はもうあまりなかったりします

 

 

【わたしがタヒったら、みんなホットするよね】

というのが、身も蓋も無い自認であり、実際のところ

 

みんな、喪服着て、泣きたいのよ

 

 

アルマさんの闘病劇場、ひっぱりすぎワロタ

 

 

 

blogへの筆がとまったのも

ここで明るいことを書けば

「なんだ元気じゃねえかふざけるな」

 

となり

 

暗いことを書けば

「いつまでもうるせえ」

 

となり

 

どっちに行ってもリアルの世界では無関心に傷つけられていたので

やめよっかな、と

 

 

 

 

しかし、闘病者がblogやTwitterをやるのは

「暴露欲求」

という極めてまっとうな心理学なので、周囲はとめないで欲しいですね

 

 

暴露欲求とは

「注目されていないと気が済まない」

とかみたいな露出狂【ではなく】て

 

 

自分が抱えきれない経験(恐怖)をしたときに、それを言語化して整理する

PTSDとかの初期治療なので

 

 

書いた時点で完成していて、読者のことはあんまり気にしていないのです

 

 

アルマの場合、本趣味があるので、ほんのちょっと工夫している、だけ