主治医の先生が。。。(続きその2) | 白血病だって100まで生きてやる。

白血病だって100まで生きてやる。

21歳で慢性骨髄性白血病と診断され、2年以内に分子遺伝的寛解達成!
留学先で風邪で入院し、採血したらまさかの白血球26倍(26万個)。
すぐにマルク(骨髄穿刺)でその日のうちにたった一人で外国語で病名告知されました。

いい加減書いてしまおう…

忘れてしまう。

 

<先日書いた、このブログの続きです。>

主治医の先生が。。。

主治医の先生が。。。(続き)

 

とりあえず、

一旦家に帰り、母と作戦会議。。。

 

 

開業するのかな。

 

ご病気になられたのかな。

 

もしかしたら、どこかの大学病院に引っ張られたのかも。

 

 

 

どうする?隣県の某有名大学病院とかだったら…

高速乗っていく?

 

わたし、ちょうど就活中だし、

思い切ってその近くで仕事探して

住むのも一手かも…

 

 

じゃ、ご病気になられて、だったらどうする?

その場合は、

いま行ってる病院内の引き継ぎの先生か…

 

セカンドオピニオンになるのかどうか分からないけど、

近くにある

A公立病院かB大学病院かだよね…

 

どっちも嫌だな…

 (大学病院は、CMLなりたてのときに入院してた病院(※欧州の)で嫌になったからで、公立病院のほうは、うちの親族が「なくなってしか帰ってこない」というのがあったため)

 

 

じゃ、開業だったら?

 

それはそれで、CML…

白血病って町医者で治療できないでしょ。

 

いろいろ調べる医療器具もないだろうし。。。

スプリセルも特殊な薬だし。。

 

となると…

 

 

 

もう、他の病院か、

別な先生への引き継ぎが現実的なのだと思いました。

 

 

とりあえず、2時間経ったところで

病院に電話してみる。

 

そろそろ順番来そうですか?と聞くと

いいやまだまだ…とのお返事。

 

更に2時間待ってみることに。

 

 

そこで、電話で、

「先生って、ほかのところにうつられるんですか?」

と聞いてみたら

 

「そうですね」

との返事が。

 

 

 

あ、ご病気じゃなかった…

良かった…と

ほっ。

 

 

とりあえず、そうなれば

ついていくか、残るか、別の病院に変えるかだ。

 

 

まだ、もしかしたら市外・府県外の大学病院に

大学教授として…ということも考えられるし。

 

 

ということで

結局、20時前、19時半だったか?に

再度病院へ。

 

それでも番号見たら、まだ10人以上前にいた。。。。。

 

 

 

 

待ってる人のイライラもピークのような気もするし

 

いつもいるおばちゃんですが、

うるさくしゃべってる人たちもいて…

 

(自分で難病って言ってるけど、そうは見えない…

というかここ病院なので静かにしてほしかった。タラー

 

 

というわけで、待ってたら

 

ちょっと見えないところに

 

「××先生は×月×日で、○○県○○市の××病院にうつります」

みたいな貼り紙が。

 

 

 

そして、病院の住所見てびっくり。。。

 

え。

 

 

 

 

福知山市から舞鶴市くらい遠いじゃん。。。。。。。

(たぶん車で片道1時間…)

(ちなみに梅田から奈良駅くらいというか…)

 

 

 

遠い。遠いよーーーーーーー。

 

 

どうする。これはどうする。。。。

 

というか、開業だから

どっちにしろ医療機器とかスプリセルとか

血液検査とかの問題もあるし

 

なによりもCMLの治療ができないよね。

 

 

 

じゃ残るしかないね…。

 

 

もし困ったことあったら、

お忍びで通わせてもらおう。

そうしよう。

 

 

ということで、

待っておりました。。。。

 

 

今回はここまで。

 

さすがに、次回で結末まで書きたいと思います。