名残の春の【池田山】
4月22日(火・晴) コース:自宅→県道18(濃尾大橋)→国道417→赤坂大橋→池野→10:10霞間ヶ渓10:20登山口・・・12:00焼石神社・・・12:05グライダー基地×××12:25池田の森・・・13:00【池田山】(標高:924m昼食)13:35・・・15:05霞間ヶ渓15:20→15:35【池田温泉】→自宅
【参考歩数:23,484】
登山道と【車道】が交差して頂上近くまで整備されている=麓から登る山というよりも、山頂近くまで車で来て、そこからごく簡単に登る山というのが【池田山の先入観】だった。また、頂上の展望もあまり良くない=魅力に欠ける山と思い込んで躊躇していたが、先週に続く【好天】に釣られて急遽出かけることにした。途中、池野交差点を左折した辺りから見た巨大な山容は、高さはないが確かな【ボリューム】を感じた。
すっかり葉桜になったサクラの名所=【霞間ヶ渓:かまがたに】に駐車して、登山口からオーソドックス?に頂上を目指す。しばらくは、ゴロ石まじりの登山道をジグザグに登っていく。池田の森まで3.8km、山頂まで4.9km:標高差約800mの道程には【名残のサクラ】も、ちらほら。
【焼石神社】に到着!一息入れる。さらに、5分ほど登ったパラグライダーのテークオフから、遠方は霞んで見えなかったが下界を一望。しかし、ここから池田の森公園の中を通って稜線に出るべきところ、二つに分かれた車道をそのまま右に進んで迷い、引き返して×××、あぁ【約30分間のロスタイム】。
何とか、13:00 山頂に到着。三階建ての立派な展望台からは360度の大展望が楽しめるはずだったが、春霞で全体がぼんやり。先ほど来た道、池田の森公園辺りまでが精一杯の眺めだった。それでも、【11年前】に登ったことがある妻に言わせれば、当時の山頂は樹が生い茂っていて何も見えず、ササ原を少し切り開いたくらいの狭いスペースしかなかったそうだ。三角点と頂上碑はあったが、物見櫓も朽ちて危ないものだったという。
休憩を除いて実際歩いた時間は、登り約2時間40分(ロスタイム含む)下り約1時間30分、合計4時間強か。変化がないので麓からは結構【登り甲斐】があり、下りは途中で【飽き飽きする】が、往路を辿って戻った。歩いた後の♨も楽しみの一つなので、帰路は【池田温泉】のツルツルの湯にゆっ~くりと浸って帰った。
♪まぼろしの~ 影を慕いて【男の懊悩(おうのう】
4月19日(土・晴)コース:頂上→鼻高道→西山→東回峰道→見晴台→不動閣→井ノ口トンネル→達目洞→東坂峠→岩戸観音→岩戸公園 【参考歩数:12,995】
メンバー9名(白木・山形・高木・高井・稲垣・山口・安藤・永田2)
木々に命の息吹を感じる【新緑の季節】を迎えた 。桜色に染まった先々週、先週から、わずかの間に山は見渡す限り色鮮やかな【緑一色】に変わった。
さて、3月5日付かつての交流基地に建つ【歌碑・影を慕いて】 で、【歌碑にまつわるエピソード】は次の訪問時とした。この日、その機会を得たのでその碑文から、柳ケ瀬でも・長良川でもない【恋物語】を紹介したい。
記
この歌(影を慕いて)のモデルとなった人が当時 日野の住民であったことは夢の様で全くの驚きであり、その名は藤沢浪子である。彼女は、明治41年11月13日生れの86才で今尚 年齢を感じさせない程の若さと美貌の持ち主で、彼(古賀政男)を悩ませたのも無理はない。
昭和4,5年頃、神奈川県の鶴巻小学校前で、姉夫婦が経営する「光明館」という下宿屋のお手伝いをしていたとき まだ名の知られていない古賀政男がここへ入居し、やがて二人は恋しあ合う良き仲となった。
ある日、古賀政男は姉を通じ求婚したのであったが、姉は何を考えたのか彼女を鎌倉の地名士の別荘へ留守番人として追いやり、二人の仲を引き裂いたのがそもそも悲恋の始まりとなった。
昭和53年7月25日、古賀政男死亡後、歌手 藤山一郎がラジオ対談で「先生は下宿の女の人が
よほど気に入っていたのだろう・・・」と話していたことがあった。
彼女も今日までに幾度となく古賀政男と連れ添った夢を見、心が痛み、忘れえぬその想いをかなえるため ここに歌碑を建て、冥福を祈ると共に 彼女の願いを遂げんとするものである。
願主(神仏に願をかける当人)岐阜市日野堂後 藤沢浪子
平成6年7月吉日
不動院第二世 順海 代建之
()内筆者記
『影を慕いて』は、1932(昭和7)年に藤山一郎の歌唱によって発売され、当時の暗い世相を背景に人々の心をとらえ流行した。「♪まぼろしの~ 影を慕いて 雨に日に 月にやるせぬ 我が想い・・・♪」戦前・戦中生れの男なら、今でも時おり口ずさむことがある歌だ。
二人の出会いから碑を建立するまでの経緯や、自殺を図るほど失恋に打ちのめされた男の懊悩(おうのう=悩み悶え)を知って唄うと、また、グッグッときますねぇ~。ところで、平成18年当時97歳で健在だったという藤沢浪子さん。今もお元気なら、今年は【満100歳】を迎えられるのだが・・・。
【おかげさま】の一日
4月15日(火・晴)コース:自宅→県道128(東海大橋)→国道258→①【多度山】多度大社・・・(登り:健脚コース)愛宕神社・・・山上公園・・・高峯神社前・展望台:昼食(下り:瀬音の森コース)・・・石津
分岐・・・多度峡(親水コース)・・・多度大社前→国道258→県道23(油島大橋)→②【木曽三川公園
センター】→県道23号→県道218号→③【海津温泉】→(東海大橋)国道155号→自宅
養老山地の最南端、「上げ馬神事」で有名な多度大社から【多度山頂=標高403m】を廻る約10kmの【周回登山】。11:35大社駐車場に車を停め、12:00【愛宕神社】の左手登山口から登り始める。尾根に出るまで40分ほど植林帯の急登が続く。山上公園を経て、東へ上がると12:50【高峰神社】前に立派な展望台があった。
生憎の霞空で、遠くは望めなかったが【木曽三川】を見下ろしながら昼食。展望台では、【マウンテンバイク】で登った地元・桑名の水谷さんらと交流。ここが拠点の”委員会”や”クラブ”の存在を知った。
帰宅後、その一つ【MTBクラブ=Monday Tado Baka Club 】を調べたら、毎週月曜日、愛宕神社前に集合。入会資格は、多度が好きな人。会則:ゴミは持って帰ること:むやみに競争しないこと:山で人に出会ったら笑顔であいさつすること:サルにエサを与えないこと。会費:なし、とあった。
下りは、13:30【瀬音の森コース+親水コース】を選んで北西へ進む。偶然、また【道連れ】ができた。それも、稲沢市在住の壮齢(49歳)氏と【長く単調で緩やかな道】をGOALまで共にした。たまに平地を歩くだけと言うわりには健脚で、【多度峡】の天然プールまで1時間半、そこから僅か20分で多度大社の駐車場に着いた。15:20【累積標高差710m:参考歩数:19,014】
15:50【木曽三川公園センター】では、毎年この季節に【チューリップ祭】が開かれる。今年は4月5日から20日までで、時期的に少し遅い分【花が開きすぎていた】が、充分に楽しめた。駐車代金も入場料も【タダ】のせいか、平日なのに人も車も一杯。国営とはいえ、これだけの設備が無料で利用できるのはありがたいが、運営費や管理費くらいは採らなくって”本当にいいの?!”16:30
16:50 かつて、安いが汚い!とも言われた【海津温泉】が昨年12月にリニューアルオープンしたので寄る。公営から民間事業者に管理運営を委託、【価格を適正化】して清潔で快適な施設になった。
http://www.dolphin-group.co.jp/kaizuspa/
ここで、またまた不思議な【ご縁】とパッタリ出会う。『今まで生きて本当に幸せだったから、これからも人さまとのご縁を大切にしたい』と言って、初対面のご婦人(服部さん:81歳)が5円玉×7個を束ねた【草履のお守り】を夫婦対で下さった。
ああ、今日も好いところへ出掛けられて、善い人に出逢えて、【おかげさまで】良い一日を過ごすことができた。
