ヴィパッサナー冥想の一つに
食べる冥想があります。

食べることに集中します。


お箸を取るところから、食べ物を口に運び、
口の中の動き、感覚、食べ物が変化していくさまを
感じながら、

ひたすら、言葉で実況中継していき、
これでもかというくらい、ゆっくりゆっくり食べます。


「お箸を取ります。上げます。運びます。つかみます。
運びます。口に入れます。噛みます。噛みます。、、、、
、、、、、。飲み込みます。」っていう感じです。


私は、時々、レトルトのカレーを食べるんですが、
それを、冥想で食べてみました。



、、、、、、、、、、、、、、



、、、、、、、、、、、、、、





、、、、、、、、、、、、、、









気分が悪くなってきました。



まったく、おいしくないんです。



噛めばま噛むほど、おいしくないんです。




半分ほど食べて、断念しました。



食べるのを止めました。




口に入れた時は、美味しいと感じるんですが、
100回くらい噛むんでしょうか、

すると、気持ち悪くなるんです。




そのとき、やっぱレトルトって、
こんなもんかと思いました。


ただ、後から思ってみると、
気分が悪くなったのは、

レトルトが悪かったのか、

初めての食べる冥想に困惑したのか、

体調が悪かったのか、


その辺は、よくわかりません。



何回か、いろいろ食べ物も変えて実践していかないと。



単純に、レトルトが悪いと結論を出すのは、
好ましくないでしょう。




ただ、いつもは素通りして感じない感覚がありました。


どんだけいつも、ちゃんと食べてなかったのか。


食べるって行為をないがしろにして、
時間だから食べなくちゃとか、
空腹感を満たすだけだったり、

話をしながら食べたり、
テレビを見ながらたべたり、
考え事をしながら食べたり、

食べきってないんですね。



こういう食べ方だと、
グルメとかいって、どんなにおいしいものを
食べたところで、

満足感はなく、もっと美味しいものもっと違うものと
欲に欲を産んで、エゴが肥大していく。


身体によくないものも、
美味しいと錯覚して、
どんどん食べ進んでいく。


たった一回、食べる瞑想をしただけでも、
いろいろ感じました。



いつもの量を食べるのに、1時間はかかりますよ。
この食べ方だと。


何を食べようと、満足します。


しばらく、食べたいとは思いません。


半分の量でも、いつも食べるのとは
比べられないくらい満足します。




ヴィパッサナー冥想していると、
いかに今までちゃんと生きてなかったかが
明確にわかります。

これを、幻想っていうんだなあ。



だから、外の世界はまったく変わらないのに、


収入もそのままだし、仕事もそのままだし、
夫もそのままだし、家も、借金も、
みーんなそのままなのに、


不安も、心配も、なくなって、
落ち着いた気分でいられます。



ウキウキしたり、幸せだー!って叫ぶのとは
ちょっと質の違う感覚。



ガハハって、大笑いするんじゃなく、
フフって、口元がゆるむような、、、





幻想を生きずに、ありのままを生きましょう!




私たちは、毎日、いかに肉体のお世話ばかり
してるんでしょうか。


朝起きて、鏡を見ながら、
顔色がいいとか、眠たそうな目だなあとか
髪が伸びてきたなあ、撥ねてるの後で直そうとか、
一通りチェックしますよね。


その後からはもう、身体のことばかりに
意識が行ってるんじゃないですか?


何を着て行こう、
何を食べよう、

ダイエットしなきゃだめかなあ、
あのサプリメント気になるなあ、

ジムに通ってみようかなあ、
エステにもいかなくちゃ、

足もみも良さそうだ、
とか、、、、


健康に関すること、見かけに関すること、
そういうことに関心が向いている。



毎日、心をチェックする人は少ないんじゃないかなあ。


今日の私の心は、イケてるだろうか。綺麗だろうか。



こころは、病気になった時初めて、
気に掛ける人が多いんじゃないかな。


そして、心療内科に駆け込む。


薬を飲む。


副作用に苦しむ。薬に依存していく。


身体もついでに悪くしていく。




こころが元気だと、身体は悪くならないそうだ。

怪我をしても、ちょっとした病気になっても、
すぐに、治る。



週刊誌や、広告などをみると、
撮り上げてるのは、ほとんど肉体(身体)に関する記事。


ファッション、グルメ、ヘルスケア、病院、エステ、、、


これらを、すべて取り除くと、ほとんどページが
なくなってしまうんじゃないかな。



それほど、みんな、目に見えるものにばかり
気を取られてる。



汚れた心で、何を見ても、ありのままの姿では
見えないのはあたりまえだのクラッカー。
(これ、若い人にはわからないだろう。
 私の世代の人にはなつかしい?)



肉体のことより、心。


心を強くしよう、きれいにして行こう!



と、思う今日この頃です。




生きとし生けるものが幸せでありますように。



私の場合は、です。


万人に共通かどうかはわかりまっしぇん。



3月から、瞑想をちゃんとやりだして、
何となく、エゴとはどげなもんだべかが、
少し分かりだしてですね。


私の願い事は、全くの恐れや、欲からくるもので、
そんなもん、簡単に叶っちゃったら、

それこそ、傲慢に拍車がかかり、
とんでもないとこに行っちゃう。

っていうことがわかった。


とんでもないとこへ行っちゃうのは、
幸せから遠くかけ離れたとこなので、
叶わない方が良かったことに気が付いた。


よくイメージをしっかり持って、
あたかも今実現してるかのように
頭に描くことで、
潜在意識に落とし込んで云々、、、、


それも、具体的に詳細に、色や香りや、感覚までも
っていうんでしょ。


できなくはないけど、無理があるよねえ。



何が幸せなのか、ほんとは、
自分ではわからないんじゃないかな?


それに、こういう状態はしあわせで、
こっちだと不幸って、
2局で分けて考える方が、変じゃないですか。


要するに、こころがジャッジしてる。


ありのままじゃない。



ありのままを認めて行けば、
夢や希望とかは持てないはずだけど、、、


だって、夢、希望は、
いつだって、

今はないっていうのが、根底にあるからね。



ただただ、今に意識を集中して生きるのみ。


夢や希望は考えない。叶ってほしいとも思わない。



生きてるって、エゴが思ってるほど、意味があるわけじゃない。


生きる使命とか、お役目とかあるわけじゃない。

生きることこそ、使命だと思う。


死ぬことも、使命だということだ。


なんということはない。


大袈裟に生きたいのは、エゴの趣味でしょ。



そんなエゴの趣味には付きあってらんなーい。




ほんとに、ずーっと振り回されたたよなあ。



そろそろいい加減にしないと、
また同じことの繰り返しで終わってしまう。


やだやだ!


同じことの繰り返しにならないように、


只今、こころの強化訓練中です。