高校3年のそろそろ卒業真近の
現代国語の時間。
私は、窓際の前から4列目に座ってた。
授業内容から外れて、いきなり
吉田先生が、
「幸せとはなにか?」
えーっ! いきなりそんな質問、ありかよ!
そんなん、ちゃんと考えたことないし、、、
どうか、あてられませんように!
南無阿弥陀仏。
「はい、00さん」
げ、当たってもた。どうしよう。なんて答えよう![]()
「あほになって、どんなささいなことにも、喜べるようになること」
すると、吉田先生は、最初の「あほ」に異様に反応して、
「あほ」は あかんっていうことを、延々と説明して、、、あらあら
え、そこじゃないし。
何か、言い足らないまま、次の人に行っちゃった。
他の人が、なんて答えてたのか、まるで覚えてない。
ただ、その時のことは今も鮮明に覚えていて、
その時の気持ちも しっかりと。
「あほ」って、頭悪いのあほちゃうし。
私の言いたかったのは、純粋とか、シンプルとか、清らかとか
そういう意味やったし。
え、やっぱり使い方間違ってる?
ここで私が、咄嗟とはいえ、「あほ」と言う単語を使った意味が
私にとって、とても重要で、
しあわせは、右脳で感じるものだっていうことを、
無意識に口を突いて出てきたんだと思う。
ずーっと、左脳よりで生きてきて,
損とか得とか 理屈とかで判断してる限り、
幸せなんて ありえへんのやから。
ほーんと、あの時の自分の答え通り、
どんどん、あほになってきてる気がする。
大阪の「あほ」は ええ言葉やねえ。
ところで、このとき、夫は 同じ教室にいたのだけれど、
なんせ、同級生なんだからして、
この私の答えを聞いて、何とおもったやら?
「こいつ、あほちゃうん。」か、寝てたか。
そんなとこだろうなあ。
いまさら聞いても、覚えてないだろうし。
なんか、不思議。