できることと好きなこと。
「ちゃんとしたい」
と思っていることこそ、グズグズして
後回しにしてしまう。
毎年、クリスマスカードが届くのだけど
「きちんとお手紙を書かなきゃ」
と思うほど時間が立ってしまう。
そしてタイミングを失う。
ダメダメな認知の癖がある。
とりあえず、サクッと返信を!
その方が絶対にいいとわかっていても
動けない。
「きちんと」と「失礼がないように」
の間の矛盾を自覚していて
動けない。
自分の中のルールを優先してしまう。
「きちんと」って
全然、
きちんとできていないじゃないか(笑)
曖昧さに対する耐性
コイツが幸福度を左右する要因の一つ
そういう心理学の研究結果がある。
曖昧さを許さず白黒思考で生きると
不安が減るが自分に対しても
人に対しても厳しくなるし
息苦しい。
「年を取って丸くなる」というが
曖昧さの耐性を身につけていくことが
人間的に大人なのかもしれない。
「〜べき」「〜に違いない」
「〜ねばならない」
という強い認知の癖は
幼稚で頑固で自分を縛る思考のため
幸福度が低くなる。
「まぁ、いいか」
心からそう言える人間になりたいものだ。
自分の中のヘンな
「きちんと」が外せたら
私はもっと幸せでいられる気がする。
今、生きていくためにやっている仕事は
以前やっていた仕事よりも
好きではない。
以前よりも充実感もない。
退職したことからなかなか立ち直れなかった。
仕事で使っていた本を手放すのに
3年かかった。
たぶん、そのままそこにいても
大成することなく中途半端で終わることも
予想していたけど
諦められなかったんだろう。
「後付けの理由」や「必然の状況」を
頭に刷り込んでやっとお別れできた。
今は好きではないが
できるであろう事をやらせてもらっている。
まだまだ勉強中で毎回、必死だけれども
それが伝わっているのか
「ありがとう」と言ってもらえる。
まだまだ十分ではない私
なのに???
予想以上に喜んでもらえて時々
「これはドッキリか?モニタリングじゃないか?」と疑いたくなる。
もしかしたら
これは
好きではないができること???
長い長い間
曖昧さを好きにはなれなかった。
長い長い間
中途半端さが
耐えられなかった。
でも
生きることの大半は
グレーなものの方が多くて。
そこの幼稚な部分が
自分を縛り、相手に強要し
幸福感を自分から削っていた気がする。
なんとなく
とか
理由がない
とか
それを認めたら、少し楽になった。
自分のモノサシがないまま
情報だけを詰め込んで
「べき」「ねば」「違いない」で
サンドイッチした過去がみえてきた。
もう一度
全部捨てて
大事なものから拾い直す時期が
来ている気がする。

