パリが愛したリトグラフ
-ムルロ工房と20世紀の巨匠たち
(神奈川→島根→北九州と巡回)
18世紀にドイツで発明されたリトグラフは、
写真以前のイメージ伝達手段として
19世紀のフランスで報道・出版
広告印刷に重用された技術だったが、
20世紀のパリで芸術的表現として
大きく花開く。
1921年のパリ。
フェルナン・ムルロは兄ジョルジュとともに
父から受け継いだ印刷所をムルロ兄弟社と改名し、
版画工房として活動をはじる。
1930年に工房が手がけたドラクロワ回顧展
(ルーヴル美術館)のポスターを機に、
その高い芸術性が認められ、
マティスやデュビュッフェ、
さらに戦後はピカソやシャガールが
ムルロの工房でいくつもの傑作を制作。
画家(アーティスト)と職人
(アルティザン)の協同作業が
版画芸術に隆盛をもたらした
20世紀パリのリトグラフ。
それを支えたのがフェルナン・ムルロ
率いるムルロ工房だった。
ムルロ工房が手がけた版画・芸術雑誌
ポスターなどのオリジナル作品約300点に
リトグラフ制作に用いられる道具、
プレス、さらに映像資料を加え、
今なお可能性と魅力にあふれる
リトグラフの豊かな世界を紹介。
オリジナルであり、複写であり、
創作であり、技術である版画という芸術。
一点ものの世界から、
手持ちできる芸術へ。
浮世絵も写真集でありブロマイドであり、
宣伝広告の要素があった。
出版に似ている。
啓蒙と出版と量産で、
日常に下り降りた芸術。
世界で最も美しい雑誌と言われた
「ヴェルヴ」
マティス、ジュール・シャレ、
ロートレックの広告ポスター
ムルロ工房で刷られた絵本や小説の挿絵は
刷職人のブレのない技術を持ってして
芸術品に仕上がっている。
美しいページたち。
ミロやジャン・デュビュッフェマティスの作品は
解釈の行間が広すぎて、
私には良さがわからなかった。
ル・コルビュジェのリトグラフを
初めてみる。
モダンだ。
もの凄い数のシャガールの
恋するものたちに随分とアテられた。
混沌とする脳内を
みせられているような心象風景。
「リトグラフ」というものを
意識して作品をみたのは
初めての体験。
常設展の展示替えで
石橋和訓の「美人読詩」をみる。
本を読む女性の姿は
目を奪われる光景。
美しい横顔。
これは予期せぬ収穫でした。
-ムルロ工房と20世紀の巨匠たち
(神奈川→島根→北九州と巡回)
18世紀にドイツで発明されたリトグラフは、
写真以前のイメージ伝達手段として
19世紀のフランスで報道・出版
広告印刷に重用された技術だったが、
20世紀のパリで芸術的表現として
大きく花開く。
1921年のパリ。
フェルナン・ムルロは兄ジョルジュとともに
父から受け継いだ印刷所をムルロ兄弟社と改名し、
版画工房として活動をはじる。
1930年に工房が手がけたドラクロワ回顧展
(ルーヴル美術館)のポスターを機に、
その高い芸術性が認められ、
マティスやデュビュッフェ、
さらに戦後はピカソやシャガールが
ムルロの工房でいくつもの傑作を制作。
画家(アーティスト)と職人
(アルティザン)の協同作業が
版画芸術に隆盛をもたらした
20世紀パリのリトグラフ。
それを支えたのがフェルナン・ムルロ
率いるムルロ工房だった。
ムルロ工房が手がけた版画・芸術雑誌
ポスターなどのオリジナル作品約300点に
リトグラフ制作に用いられる道具、
プレス、さらに映像資料を加え、
今なお可能性と魅力にあふれる
リトグラフの豊かな世界を紹介。
オリジナルであり、複写であり、
創作であり、技術である版画という芸術。
一点ものの世界から、
手持ちできる芸術へ。
浮世絵も写真集でありブロマイドであり、
宣伝広告の要素があった。
出版に似ている。
啓蒙と出版と量産で、
日常に下り降りた芸術。
世界で最も美しい雑誌と言われた
「ヴェルヴ」
マティス、ジュール・シャレ、
ロートレックの広告ポスター
ムルロ工房で刷られた絵本や小説の挿絵は
刷職人のブレのない技術を持ってして
芸術品に仕上がっている。
美しいページたち。
ミロやジャン・デュビュッフェマティスの作品は
解釈の行間が広すぎて、
私には良さがわからなかった。
ル・コルビュジェのリトグラフを
初めてみる。
モダンだ。
もの凄い数のシャガールの
恋するものたちに随分とアテられた。
混沌とする脳内を
みせられているような心象風景。
「リトグラフ」というものを
意識して作品をみたのは
初めての体験。
常設展の展示替えで
石橋和訓の「美人読詩」をみる。
本を読む女性の姿は
目を奪われる光景。
美しい横顔。
これは予期せぬ収穫でした。
