この年になって幼い頃のことを頻繁に思い出す。小さい我が子を見ていて、その姿に幼い頃の自分が重なる時があるからだ。


両親は私が何か失敗すると手を叩いて笑い、何度もその失敗を話題に出して揶揄い、泣くまでしつこくしつこく繰り返し、最後は泣く私が悪いと怒り殴ってくることも。


リレーの選手になったことがあった。それに対しそんなわけない!お前みたいな鈍臭いヤツが選手に選ばれるわけない!バレる嘘を吐くな!と怒られたことがあった。悔しくて泣きながら本当だと訴えたが、そんなことで泣くなっ!このウソ吐きが!と殴られた。実際、運動会でリレーの選手で出場しているのに、両親は疑ったことを謝りもせず、遅かった、お前が走ったから勝てなかったと文句の嵐。


とにかくよく殴る両親で、口答えするなっ!!と怒鳴りながら殴る蹴るをする。なんの躊躇もなく時には素手で殴る方が痛いんだ!とキレてから竹刀やモップの柄で殴ることを正当化していた。いやいや単なる暴力やろ?


私は子ども叩いたことなんてない。当たり前だけれどない。叱ることはあるけれどそれは命に関わる時だけ。普段は言葉を届けるように伝えることに注意している。


我が子は私といても怯えないし緊張もしていない。そんな姿を見たいると泣けてくる時がある。


伸び伸び育つ我が子の傍に淀んだ目つきの子どもの私がチラついて可哀想になるから。


背を丸めて必死に暴言と暴力に耐える幼い自分を、我が子にかける言葉で癒している気がする時がある。


幼い自分が欲しかった言葉を我が子に伝えながら、あの時の自分に大丈夫だよと背中をさすってあげている気持ちになる。


私の育児は私自身の癒しにもなっている。


好き放題、暴力を振るって来た両親からは謝罪はない。覚えていないし覚えていても必要だったと思っているだろう。クズでノロマでデブでブサイクな私にそんな対応するのは当然だと両親は思っている。


今も育ててやった恩を私が感じていても、恨んでいるとは思ってないだろう。


でなければ当たり前のように親面するわけない。


虐待された子どものニュースが流れると今どきの親は子どもが子育てしているからこんなことになるんだ!躾と暴力の違いが分かってない親が多すぎる!!と腹を立てて文句言っている両親に目が点。


お前が言うなよ

あんたたちが私にしてたのは躾ちゃうで虐待やで?


髪の毛を掴んで振り回して壁や家具に叩きつけ、竹刀やモップの柄で殴るのは暴力。生まれてきたことを否定し要らない人間扱いしたのも暴力。


お前ら2人が子育てを語るな


今、私が両親を見捨てないのは我が子に嫌われたくないから。年老いた両親を捨てる非常識な大人だと思われたくないから。なのにアイツらは立派に子育てしてきた自分たちが凄いんだと思っている。


もうね、毒親なんてこちらの気持ちなんて理解出来ない、話が通じない、異次元の生き物。


そんな人たちに振り回されるより今を大切にしたいと思う。それが私にとっては子育て。


子育てを通して私は癒され救われている。


相手を変えるのは難しい。両親の謝罪や優しさを求めるより自分で自分を癒す方がずっと易しい。


私にそんな機会を与えてくれる子どもたちには感謝しかない。