看取りはみんなのストレスになっていた。ストレスの無い看取りにすればいい!?!


みんなの健康と仕事運上昇を願う!!
オーガニックダイアモンド
東大院受験生   小泉寛


日頃、看取りの現場にいるものとしてありがたい言葉だと感じます。看取りは人生の内たびたびあることではないので、心の置き方がむずかしいですね。当事者、ご家族、医者、看護師、介護士などのスッタフなどに多大なストレスがおとずれます。そのケアも必要だとおもっています。


開成卒業生の医師からの伝言!

今日はこれから神戸に向かい、「気の医学会」の磐座巡りに参加します。大人の遠足です^_^  カタカムナ文字の勉強会もあるそうです。いろいろ楽しみです。

ところで、昨日は、高校のクラス会に参加してきました。

他に真っ当なドクターたちがいるなか、近況報告では、日頃の思いをきっちりとぶちまけてきました。

「看取りの現場では胃瘻や高カロリー輸液など余計なことはしなくても良い、

これからの超高齢化社会を迎える日本ではそのスタンスがぜひとも必要となる、

なにより日本人が大事にしてきた精神性を思い出せば看取りは変わる、・・・」

いつものような講演会ではないんだけどな、とも思ったのですが、まあ言い過ぎはいつものことです。

と、元応援団長が、大きくうなづき、”良い話だった”、とすぐさま反応してくれたのです。彼の存在感は大きいだけに、じつにありがたかったです。

聞くところによれば、彼は、父上を見送る時、ドクターに、”何もしなくて良い”、と申し出たそうです。

そして、最後に、苦しそうな息をする父上に向かい、二人きりの時に、”苦しいだろ、もう逝っていいよ、お疲れ様”、と声かけをしたそうです。そのあと間も無く父上は旅立たれました。

いまなら、そう珍しくもない光景ですが、亡くなったのは今から10年前、現在とは全く環境が違います。止むに止まれぬとは言え、勇気が必要だったことでしょう。

実際、彼も、いろいろ葛藤があったようです。その思いを想像すると胸が詰まる思いがします。

しかし、彼は、”俺は間違ってなかったと納得できた”、と言ってくれました。

私は”いい最後だったね、お父さんも救われただろうし、自分も癒されるよね”、と言ったあと、”俺は死んでもおしまいじゃないと思ってるし、そう思うと看取りは変わるんだよね”と余計なことまで付け加えてしまいました。

しかし、彼も、その隣のかつてお世話になった先生も、大きくうなづいてくれました。わかっていただけたようでしみじみ嬉しかったです^_^

そのあと、都内の大病院で副院長を務める友人が、”これからは、Quolity of Death が求められる時代だよね” と声をかけてくれました。

しっかりと、伝わる人には伝わったようです。それだけで十分です^_^

富士山は雲のなかでしたが(ー ー;)  新幹線は順調です。神戸が楽しみです。


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