後藤正文 弾き語りライブ        「THE FUTURE TIMES」(長文) | それでも僕は行こう

それでも僕は行こう

アジカン好きです。
日々思う事をひとりごと。
福祉のこと、
軽度知的障害のある息子の七転八倒、
不登校だった娘の夢、
様々な事を通して考える事を書いてます。

ASIAN KUNG-HU GENERATIONの後藤正文氏、通称ゴッチ。ツィッターではゴッサンを名乗っている。
そんな彼が、この度の東日本大震災で多大なる衝撃を受け、価値観さえも揺らいでしまった。
これは多くのミュージシャンもそうだったと思う。
そして、一般の私達でさえも。
けれども、現在では、皆忘れたいのか、そして、被災や原発の問題が人ごとのようになってしまったのか。
私の住む地域は、遠く離れていて、尚更、他人事のように動いている。
私は片隅で申し訳なく思いつつ、日々は流れる。
ゴッチは、元々原発問題に関心を寄せていて、現地取材などして、意義を考えていた。
時間をかけて皆で考えようとしていたのだ。
そこへ。
多くの事を考える起点となった今、積極的に考えようと彼は行動を起こし始めた。
チャリティーやボランティアとか苦手であっただろう彼が、被災地へ赴き支援を始めた。
自分の出来る事を模索し、ツイッターでもファン達に呼び掛けていた。
少しずつ音楽活動を再開し、ライブや作曲もかきむしるような様子で行っていたのではないか。
「THE FUTURE TIMES」と言う未来を考えて行く新聞も作り始めた。
あれがダメだこれがダメだ、と言う議論なのではなく、未来を生きるための新聞。
ゴッチ自身が被災地や色んな職種の人達に取材をし、自費で新聞を作り、無料で配布している。
新聞と言ってもオールカラーで表紙は中村佑介さんのイラスト。
こんな感じ(すっ!すいませんっ!下手くそでっ!)超ぼやけ。

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ふっ雰囲気だけ伝われば。
ブログやツイッターは流れて行くので、「紙」にこだわったって。
残るもの、と言う事ね。
ネットでも配信しているけれど、やはり紙の方が充実している。
誰かの目に留まれば、と言う思いで彼は始めた。

そんなこんなで、チャリティーと言う事に疑問を感じる彼は、単独弾き語りライブで募金を集め、それを物資に換え送り届けている。
それを知って、近くに来ないかしらと気をもんでいた、わたくし。
それが昨日の事。
無事チケットをゲットし、仕事終りに猛ダッシュで娘と現地へ向かった。
場所は、古式ゆかしい神社の能楽殿。
ギリギリセーフ。
ツイッターで白足袋着用と書いていたけど、本当だった(笑)
ゴッチは決して大きくなく、いえどちらかと言うと小さいのだけど、何と言うかオーラがあると言うか。
発言とかも淡々としているけれど、凄味がある。
トークの後に、地元のバンド演奏があり、さてご本人の演奏。
ドラムのキヨシを引き連れて。キヨシは明るくチャーミング。
ドラム無いけど?と思っていたら、何だろう、電子パーカッション?みたいなの?
それに座ってキヨシ演奏。さすがプロ。機材を選ばず。緩急をつけて感動に価する。
ゴッチもファンも認める「ループ&ループ」と「君という花」は、手拍子や合唱を交え、とっても楽しかった。
名曲中の名曲と思われる「君という花」の独特なリフ(とっても耳に残り、つい踊ってしまう)はゴッチが考えたのだと演奏途中で言っていた(笑)
そして、近々発売の新曲「マーチングバンド」、タイトルからして、明るいポップな曲かと思っていたけど、結構ズッシリ来た曲。
言葉が、深かった。「息をしよう」とか、良い意味で前を向いた曲。予想していたのとは違う重みのある印象。
あっ!好きだ!この曲。てか、どれも好きだけど。
今の時代へのメッセージか、と思ったら、進研ゼミの新CMの曲。良い曲です。
そして、震災直後に作った「砂の上」。私もブログにアップしたが、生はすごい迫力があった。
苦しみとか戸惑いとか。
多くのミュージシャンが震災により葛藤し、「頑張れソング」を作っている。
私には、それが苦しいのだけど、ゴッチも同じ様に感じているよう。
もっと苦しみとか、悲しみとかを歌っても良いのでは?
新曲は、そういう中にも、一条の希望や生きて行く強さを潜めている。
ラストの曲は、「それでいいのか?」とストレートに問いかけていた。
勿論、珍しいことなのだけど、きっとそう歌わずにはいられない心情なのだろう。

そしてそして、募金とTシャツ購入とサインと握手。
今までのゴッチでは考えられないサインと握手。
募金をした人の顔をちゃんと見て感謝を表したいとの事だった。
勿論、並んだのだけど、段々と順番が近づいて来るにつれ、ドキドキする。
は、恥ずかしい。・・・・乙女か。
そして、本当にゴッチを目の前にして、声をかける事も出来ず、顔も見れず。
他の人には手を差し出してくれていたのに、一瞬の間が空いた気がしたけど、ここは思い切って私から手を差し出した。
私は指に切り傷があって、カットバンをしていた。こんな時に限って。
もう、本当に乙女だ、あたし。こんなおばさんだけど許して。
その後、ゴッチの演奏に、ゴッチ本人に酔っぱらった様にして家路に着いた。

きっと、ずっと彼の活動を応援するのだと思う。
彼の表現者として、芸術家として、人間として、社会にコミットしていく様を見て行きたい。