秋葉原の事件報道の事
秋葉原の通り魔事件で今日は両親のインタビューが出たそうだ。
親としての責任をどう考えるか?
なんて、マスコミが聞いたらしい。
近隣住民によると、躾が厳しく、虐待じみていたとの事。
昨日は「犯人はオタク。またゲームや漫画の影響か」なんて言っていたのに。
「社会」は真犯人を探している。
どうやら、責任がある者とは事件の原因を作った者の事らしい。
両親が責任を問われているのもその辺りが理由のようだ。
しかし、もし親の教育に問題があるとすれば、親達の親の教育に問題は無かったのだろうか。
家庭を囲む近隣の人々の対応は?
教師の対応は?
友人は彼が最後の一歩を踏み出す事を躊躇うような言葉をかけてやれなかったのだろうか。
結局のところ、潔白を証明し得る人間など居はしない。
即ち犯人を取り囲む全ての物は原因になり得る。
そして私たちは個々人の周囲を構成する物を総じて社会と呼ぶ。
上で例として挙げた、両親も近隣住民も教師も友人も、何よりも自分自身も彼の社会の一環である。
「社会」というのは細分化すれば、そんなに小難しい物ではないのだ。
政治家やマスコミや流行やアイドルや年金問題を指すのではない。
社会とは詰まる所、ワタシとアナタでしかない。
然し乍ら、何かしらの物事に対して「社会に原因」があるとは失笑ものだ。
社会が原因で無い罪などあるのだろうか。
問おう。
ワタシとアナタが原因でない罪など世の中にあるのだろうか。
自身が社会の一部である事を忘れた人間だけが叫ぶのだろう。
「社会のせいで犯罪が起きた」と。
厳密には責任というのは法律の問題だ。
犯人以外に取る存在は無い。
だが原因は永久に不明だろう。
社会が自身の中に原因があると認識しないのだから。
それに、そもそも、人を殺す奴の気持ちや精神構造が「マトモな社会人」の誰にわかる?
ここまで考えを巡らすと、今回報道の意図が分かる。
詰まる所、日本の皆様の安心の為にスケープゴートが必要であり、それがこの両親だという事だろう。
気の毒に。
もっとも、自分自身も安心を必要としている以上、人事では無いのだけれど。
似た者同士は集まるという事
友人が先日誕生日を迎えた。
ちょっと少ない人数だったけれど、彼の為に誕生日会を開き、食事をした後プレゼントをあげた。
あとは普通の飲み会と全く同じ。
くだらない話をして、皆で笑って。
持つべきものは友人だな、と心の底から思った。
不思議なものだ。
自分と似ているところ。
自分と似ても似つかないところ。
両方が友人達の中に同居している。
それなのに、僕らはお互いを似た者同士、なんて感じたりする。
二次会になると、皆お互いの近況報告をし合った。
誕生日の彼は、ずっと好きな子が彼氏と結婚しそうだ、どうしようかと焦っており。
一人の友人は、彼女との結婚が上手く進まないまま転勤となってしまい。
一人の友人は、彼女と別れそうになっていて。
僕は告白も出来ないまま失恋していた。
似たような人間には、似たようなタイミングで何かが起こるものなのだなと痛感した。
出した結論も皆一緒だった。
一月も経てば、似たような結果を持ち寄って、僕らはまた飲み会でもしているのかな。
人を好きになる事
いきなりこんな内容も何なのだけれど、最近失恋をした。
今年で2×歳。
この年になって告白もせず失恋するとは思わなかった、というのが本音。
男らしくないなぁと我ながら思う。
彼女とは出会ってもう二年以上が経つのだけれど、ずっと意識はしていなかった。
たまに二人で遊びに行って楽しかったりはしたけれど、どんなデートスポットに行っても手も繋がなかった。
そんな相手を急に意識するようになった。
それがほんの一月ちょっと前の事。
外見の話をするならば、正直に言って最初から好みだった。
でも、それで好きになったというわけでもなく。
休日の朝起きて、今日はやる事が無いな、どこかに誰かと行きたいな、と思い、ふと彼女の事が頭の中に浮かんで来た時。
彼女の率直な物言いや明るい性格。意地っぱりなところや口が悪いところ。
色んなところにいつの間にか自分が惹かれていたのに気付いた。
今までの自分は、同じクラスの子であったり、同じサークルの活動にいたり。
ずっと何かを共にして来た子を時間をかけて好きになってきた。
落とし穴に落ちるみたいに、ある日急に恋に引きずり込まれるなんて新鮮な驚きだった。
二年近くも知っていた相手なのに。
それも、本人がいない場所で。
一度気づいてしまうと抑えが効かない性格なので、その日にメールをして約束を取り付けようとした。
もちろんその日はダメだろうと思ったけれども。
休日の予定を計画的に入れる子なので、少しでも早く連絡をした方が良いだろうという考えがあったからだ。
結局午後になってメールは返ってきて、5月の連休に合わせて何かをしようかどうしようか、そんな相談が始まった。
恋をしたら仕事なんて手につかないと、そこまでいえば嘘になるけれども。
随分長い間、人を好きになっていなかった自分としては、中学生の頃の初恋にも似た気持ちになった。
何をしていてもソワソワするような、胸が苦しくなるような感じだ。
相手はどうしているだろうかという事が頭の片隅を離れなかったが、振り払う事も出来ずに数日間を過ごした。
しかし、どうしようか何かいい場所は無いかとメールで相談している内に、どことなく彼女の態度に変化が出てきた。
ちょっとした電話が繋がらないとか、ようやく繋がった電話での対応が随分淡白だとか。
一つ一つは些細な事だったけれど、何かが普段と違うなと感じた。
それは自分が彼女を意識し出したからかもしれないし、或いは彼女の方が僕が彼女を意識した事に気づいたからかもしれない。
兎にも角にも、違和感を持ってしまった僕は連絡が取り辛くなって行き、いつの間にか二人で会う予定は無くなってしまった。
彼女はそれはお互いの予定が少しずつ合わないからだと説明した。
多分それ自体は全然大した事では無いのだと思う。
客観的に見れば、今までお互いが暇な休日に遊んでいた友人と、たった一度都合が合わなかっただけだ。
ただ、そういった小さな事が大きな意味を持つ時があるという事を、初めて身を以て体験した。
僕はそれはお互いのタイミングが少しずつ合わない時に起こるのだと考えた。
その日の夜に電話をしたが、やはり彼女には繋がらなかった。
日付が変わるまで待ってみようと言い聞かせた。
家族と共にいるだとか、入浴中だとかそういった事情かもしれない。
昔付き合っていた彼女にはよくそんな事があった。
結局0:00になっても彼女から連絡は来なかった。
この電話は二度と繋がる事は無いのだろうと、その時思った。
「この年になって、相手と付き合うかどうかにそんなに時間をかける気にはならないよ」
以前、そう言っていた友人がいた。
僕にとってはほんの1ヶ月程度の恋。
でも実際に彼女と僕が出会ってからは、随分な月日が経っているのだ。
そして、その時間が僕の中で恋を育て、彼女の中で(少なくとも友人として休日を共に過ごす程度の関係としての)僕への興味を薄れさせた。
せめて、彼女への気持ちに気付いたあの休日の朝。僕は彼女に電話をして、君が好きみたいなんだ、と伝えるべきだった。
困惑するだろう彼女に、突然だけれども付き合って欲しいから考えてくれないかと言うべきだった。
勇気の無い僕は、明日君に会ったとして何を話すだろうか。
僕の2×年程度の人生を通じて、最も短かった恋。
片手に収めようとするには最後となる恋。
それが終わる事が、はっきりと分かった。
気の長い僕はこれから二年かけて失恋するのだろう。
