最初の記憶-2- 2010-05-03
次の記憶は、母の死後のことになります。当時の私に
とって母の死は大きなショックでは無く、心の痛手も
受けずに祖父母の寵愛を受けてのびのび育ったよう
です。ただ近所のいじめっ子にいつも泣かされていた
そうです。母の長兄に嫁いできた伯母さんによると、
いつもピイピイ泣いていたそうで、そうするとお爺さん
が、よしよしと言ってご機嫌を取ってくれていたそうで
す。その伯母によると、私はザリガニでもオタマジャク
シでも蛙でもなんでも平気で掴んで家に持ってきた
そうで、「怖い物なにも無かった」そうです。ただ、とん
ぼを取るのに、シオカラトンボやムギワラトンボは採
れるのに、やんまはどうしても採れないので、お爺ちゃ
んにいつも頼んで、銀やんまや鬼やんまを捕って貰っ
ていたそうです。あれは宝物でした。
お爺ちゃんと一緒にとんぼ捕りをした記憶は、しっかり
有ります。多分この頃、私は4~5歳になっていた筈です。
長じてからも、蛇やとかげを平気で捕まえたのを見ると、
これは先天的のものなんでしょう。今でも平気ですが。
次に、私の記憶の中に、初めて父が出てきます。上海
から江戸川区小岩に尋ねてきてくれた父です。その前
にも度々来ていた筈ですが、私の記憶に残らなかった
のでしょう。初めて記憶に残った父は、部屋で相撲を
取ってくれて、ころりころりと負けてくれました。近所の
子供と相撲を取ると、いつも負けるのに、何故か勝てる
ので嬉しかった記憶が有ります。父がわざと負けてくれ
たのだと判るのは、だいぶ後になってからです。
そして父は江戸川に釣りに行き、魚は釣れなくて、裸に
なって泳いでました。人が泳ぐと言うのを初めて見たの
がこの時でした。これははっきり覚えています。
父は一旦上海に帰りました。その後か前か、伯父さんが
尋ねて来たのを覚えています。父の姉のご主人で大工
さんでした。現場が祖父の家の近くだから寄ってみたと
言っていました。その後も遊びに来てくれて自転車に乗
せてくれたことを覚えています。ハンドルとサドルの間の
鉄棒におしりを載せて乗りましたが、痛かった記憶が
あります。
別のお爺さんとお婆さんが尋ねてきたことが有りました。
確か、父の碁盤を取りに来たとかで、にこにこ笑って
いたことを覚えています。それは、父が新しい母を迎え
ることが決まったことを意味していました。勿論当時の
私には、そんなことは理解出来ませんでした。
次の記憶は、母の死後のことになります。当時の私に
とって母の死は大きなショックでは無く、心の痛手も
受けずに祖父母の寵愛を受けてのびのび育ったよう
です。ただ近所のいじめっ子にいつも泣かされていた
そうです。母の長兄に嫁いできた伯母さんによると、
いつもピイピイ泣いていたそうで、そうするとお爺さん
が、よしよしと言ってご機嫌を取ってくれていたそうで
す。その伯母によると、私はザリガニでもオタマジャク
シでも蛙でもなんでも平気で掴んで家に持ってきた
そうで、「怖い物なにも無かった」そうです。ただ、とん
ぼを取るのに、シオカラトンボやムギワラトンボは採
れるのに、やんまはどうしても採れないので、お爺ちゃ
んにいつも頼んで、銀やんまや鬼やんまを捕って貰っ
ていたそうです。あれは宝物でした。
お爺ちゃんと一緒にとんぼ捕りをした記憶は、しっかり
有ります。多分この頃、私は4~5歳になっていた筈です。
長じてからも、蛇やとかげを平気で捕まえたのを見ると、
これは先天的のものなんでしょう。今でも平気ですが。
次に、私の記憶の中に、初めて父が出てきます。上海
から江戸川区小岩に尋ねてきてくれた父です。その前
にも度々来ていた筈ですが、私の記憶に残らなかった
のでしょう。初めて記憶に残った父は、部屋で相撲を
取ってくれて、ころりころりと負けてくれました。近所の
子供と相撲を取ると、いつも負けるのに、何故か勝てる
ので嬉しかった記憶が有ります。父がわざと負けてくれ
たのだと判るのは、だいぶ後になってからです。
そして父は江戸川に釣りに行き、魚は釣れなくて、裸に
なって泳いでました。人が泳ぐと言うのを初めて見たの
がこの時でした。これははっきり覚えています。
父は一旦上海に帰りました。その後か前か、伯父さんが
尋ねて来たのを覚えています。父の姉のご主人で大工
さんでした。現場が祖父の家の近くだから寄ってみたと
言っていました。その後も遊びに来てくれて自転車に乗
せてくれたことを覚えています。ハンドルとサドルの間の
鉄棒におしりを載せて乗りましたが、痛かった記憶が
あります。
別のお爺さんとお婆さんが尋ねてきたことが有りました。
確か、父の碁盤を取りに来たとかで、にこにこ笑って
いたことを覚えています。それは、父が新しい母を迎え
ることが決まったことを意味していました。勿論当時の
私には、そんなことは理解出来ませんでした。