私は42歳。14歳の思春期の息子と妻の、三人暮らしだ。
夜9時半過ぎ、まだ秋とはいえない暑い夜。疲れ切った体で自宅にたどり着いた。
自室2階のカーテンの隙間から、光が漏れる。息子が、私の部屋にいる。
玄関の鍵を開ける。ゲーム機のファンの音が階下に聞こえる。 壁掛け時計の秒針が、せかせか動き回る。
空腹で胃がキリキリしていた。
部下のミスで、連日、始末書の作成に追われている。 リビングテーブルには、夕食さえ用意されていない。
2階の自室へ向かうと、息子はゲーム機の前で画面に熱中していた。 その傍ら、床の上に妻がうずくまり寝ていた。息子がかけたのだろうか、肩から足まで毛布が被せられていた。
「おい」
私が妻の肩を揺すると、無反応だった。
「寝ているのか?」
息子に問う。
「お、おかえり、パパ!さっき、倒れてそのまま寝ちゃった」
息子は視線を画面から外さず、手元はコントローラーを力一杯握っていた。
私は妻の足元を軽く突いた。びくともしない。
「倒れたってどういうことだ?」
息子は返事をしない。
妻の寝姿を一瞥し、部屋着に着替えた。
「そんなところで寝ていると、風邪ひきますよ」
そう言いながら毛布を払う。
色白の頬がそこにある。 瞼が閉じきらず、瞳の焦点が合わない。
「おい、聞いているのか?」
口元に手を当てる。
息が、ない。 苦しみに引き攣った口角の端から、乾きかけた液体が垂れている。
「おい!」
私は妻の名を呼び、肩に触れようとした。 手を止めた。
——もし、死体だったら。 触れたら、犯人にされる。
横目でこちらを窺っている息子と目が合う。
飛びかかった。 首元をきつく締め上げる。拳に「うげっ」という湿った吐息がかかる。全身から嫌な汗が吹き出した。
「おまえ、何をしたんだ」
息子は答えない。 いつものように首を傾げ、視線は斜め右上。叫べば叫ぶほど口を閉ざす、そういう気質だ。
空腹で疲れている日に限って…目が痙攣する。
私は、強く握っていた首元から手を離した。 同時に、最悪の計算が頭をよぎった。
――供述次第では、私の人生が終わる。
「おまえは一切喋るな。すべて『わからない』で通せ」
息子の顎を掴み、無理やり目を合わせる。
「いいか、言われた通りにするんだ。パニックだった、混乱していた。わからない。それで押し通せ。お父さんには仕事がある。おまえは引きこもりだ。」
息子に一語一語はっきり言い聞かせる。
「おまえがママを殺した」
「……パパ……」
息子が口をへの字に曲げ、泣き始めた。私はその腕を強く振り払う。
「パパと呼ぶな! 殺人鬼の父親になるつもりはない」
床の散乱と争った跡、そして息をしていない妻を見つめた。これは息子一人がやったことだ。 警察の前で、体裁さえ整えればいい。
スマホに表示された時刻を確認した。21:48。
110番に電話した。
「事件です。息子が母親に危害を加えました。至急、救急車と警察をお願いします。……ええ、私は冷静です。
…ひとつだけお願いがあるんですが。」
咳払いをする。
「近所の迷惑になるので、赤色灯は消して来てもらえますか? 入口が狭いので、近くのコンビニまで私が出向いて案内します」
通報を終え、玄関のドアを少し開けて外を伺う。 近所に知られるわけにはいかない。私の人生に、これ以上の泥を塗られてたまるか。
息子が何事もなかったかのように、ふらふらと玄関に降りてきた。 不安そうな顔で、私の背丈を越した息子が視線を合わせてくる。
「これは事故だ。わかるな?」
返事はない。
「私は、こんなことで大騒ぎされたくないんだ」
IQOSの煙を深く吐き出した。