シグナルとしての消費。良い学歴とは? | 慶應通信で実学を学ぶ

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【第78期】2024年4月に文学部1類に入学しました。学びに終わりはありません。

私が尊敬する経済学部の藤田康範先生が自著の中で、「卒業証書は、大学で実力をつけたことの証ではなく、大学を卒業するだけの実力があることを示すシグナルにすぎない」という著名な先生の見方を示しています。

これは「シグナルとしての消費」という概念で、「教育は必ずしも個人の能力を向上させず、教育への需要は、良い学歴を得ようとする欲望によって決まる」という考えに基づくものです。

なるほど教育への需要の動機はこんなふうに考えると分かりやすいですね。

学生による事件が発覚すると記事には「〇〇大学3年生」とか「私立大学3年生」とか書かれたりしますが、その違いはなんなのか?
大学名の実名が出たりするとそこに通う学生にとっては迷惑な話ですが、名高い大学ほど実名で報じられる確率が高いようです。そこに入学偏差値という序列にこだわる消費者のニーズがあるということなのでしょうか。


では「良い学歴」とは何をいうのか?
その辺りはまた今度。


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