十五夜に考えたことについて | 慶應通信で実学を学ぶ

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【第78期】2024年4月に文学部1類に入学しました。学びに終わりはありません。

たとえそれがオタク的であっても、オリジナリティーを備えていれば他者からの共感を集め、社会性を帯びていくという一つの仮説について。

ただ、行為そのものは全てオリジナルなものであるという反論。

その反論に対しては、パーソナルとオリジナルとは違うと言おう。個人的なものと独創的なものとは明らかに差異があるからだ。

そこから導かれるものは、論文というものは独創性があって初めて社会的な評価を受ける対象になる。つまりオリジナリティーのない論文は論文とはいえないということになる。

ではその独創性はどうやって生み出せばいいのか?

一つのヒントはその領域の先行論文に数多く当たることだと思う。その行為は経済で言うところの「分業」に近い。経済は分業によって生産性が高まる。同様に論文も、その研究テーマの多様性と多元性を認識することでオリジナリティーが深められるのだと思う。

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月見団子ではなく走井餅を爆食いした今年の十五夜。

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月は世界中どこから見ても同じ姿をしているが、月にウサギがいると信じるのは日本だけだという。

自らの命を投げ捨てたウサギを思いながら、日本人らしく秋の豊穣を祈りたい。

アーメン。




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