W大のOBで娘夫婦が慶應の応援指導部のOBという職場の先輩が「早慶戦」(世間ではそう呼んでいるらしい)を観に行こうというので、5月 31 日の二回戦を観戦してきました。
今春の「慶早戦」は慶應が3連勝すれば慶應の逆転優勝、早稲田が1勝でもすれば勝率で早稲田
の優勝と、共に優勝をかけた大一番となりました。
早稲田が「ビリギャルって言葉がお似合いよ」と仕掛ければ、対する慶應は「ハンカチ以来パッとしないわね」とやり返すポスターが話題になったこともあって一回戦の神宮野球場は外野スタンドまで大入り満員となったようです。
歴史を紐解けば、両校の初対戦は 1903(明治 36)年、早稲田が慶應に「挑戦状」を送達したと
きから始まります。試合は 11-9 で慶應が勝利し、先輩格の慶應がその実力を認め、翌年から定期
戦として開催されるようになりました。
ところが両校の応援合戦が過熱するあまり、1906(明治39)年秋には応援団同士が一触触発の状態になり、両校の当局が第三戦を中止するという事態になりました。この事件は他の競技にも波及し、全競技での両校同士の試合禁止を決めるなど、両校の関係は修復不能の状態に陥りました。事態を打開できたのは明治の働きかけがあったからだといわれています。その努力が東京六大学野球連盟の創設につながって19 年ぶりに「慶早戦」したそうです。そこからプロ野球の発足へとつながり、今日の日本野球発展の礎となりました。
5月 31 日の二回戦に話しを戻します。前日に慶應が負けて早稲田の優勝が早々に決まり、プロ野
球なら消化試合となるところですが、そこは伝統の「慶早戦」、相手から勝ち点を取ろうと総力戦となることはまちがいありません。
早朝に神宮外苑をジョッギングしたところ、午後1時の試合開始にもかかわらず、すでに応援指導部は応援練習で大声を上げているし、両校の支援会が大勢の学生を引き連れて開門を待っていました。慶應が三塁側というのは 1933(昭和 8)年の「リンゴ事件」以来混乱を避けるために固定されています。入場門で「KEIO」のロゴが入った紙製メガホンと応援歌歌詞カードを手渡されました。「若き血」以外にも数多くの応援歌があって驚きました。「好くぞ来たれり好敵早稲田」(我が覇者)とか「慶應讃歌」など、イニング毎に歌う曲は決められています。
私は試合開始の2時間前に入場しましたが応援練習がすでに始まっており、卒業生とおぼしき人たちが楽しそうに応援歌に声を合わせていました。団旗がスタンド上段から悠然と入場してくる様や、両校の応援団が相手方の応援スタンドにやってきてエール交換などを行う光景は、両校が礼節を持って相手を敬うスピリットに溢れ、さすが伝統の一戦だと感じ入りました。
同行した先輩は、塾員が埋まる完全アウェイ状態の中、白地にえんじのWのロゴが入ったキャッ
プを平然と被ってスマホで慶應の応援風景をさかんに撮っていました。いったいどちらを応援して
いたのでしょうか。
試合は残念ながら2連敗を喫し、早稲田の完全優勝となってしまいましたが、通学生時代の自分を懐かしみ、ようやく慶應義塾の一員になれたような気がしました。