第二の応援指導部30余年前、母校(関西)でスポーツ新聞を作っていました。当時はまだ大学の機関紙ぽいつくりではありましたが、凸版印刷という制約の中で見出しを大きくしたり、一面にカラーを取り入れるなど、徐々に今のスポーツ紙の体裁に近づけていった頃であります。コラムの内容で大学当局に睨まれたこともありましたが、第二の応援団として母校愛に満ちた4年間でした。紙が廃れる時代になったとはいえ、作り手の情熱や温もりが紙面から伝わってきます。両紙の益々の発展をお祈りします。がんばろう!日本