前々回に娘と私が受けたイジメについて話しましたが、今日は娘のその後について少しお話しさせていただきます。

ひどいイジメを受け環境を変えるために同じ町ではありますが、少し離れた所に引っ越し学校を変え、その後は大学卒業まで穏やかに過ごせていました。

うちでは今でもイジメを受けていた小学校名は禁句文言となっています。
それほどに傷は深いものでした。
そして住んでいる町自体も嫌がって学校選びをする度に遠方の学校を受験してこの町を脱出しようとしていました。
しかしどういう訳か結局は通学圏内の学校に入学する事になってしまっていました。
(娘が中学生の頃に夫が起業し、結局今でも私達夫婦は、このイジメを受けた同じ町に住んでいます)

就職活動となった時、その年は就職難の年でありましたが、なんとかこれも自宅通勤圏内の会社から内定をいただいておりましたが、娘はこれが最後のチャンスと思っていたのかその後も粘り強く就職活動を続けていました。
夏頃最後の最後の時期に奇跡的に100倍の倍率を突破し海外進出もしている大手企業から採用をいただき本社勤務となり、東京へ移り住む事が決まりました。

その年の年末には、大きく
「祝 脱出」と書いた年賀状を作っていたのを覚えています💦

それから5年程経った頃、知人の紹介で同じ転勤族で育った婿殿と知り合い結婚致しました。

ところが人生って面白いものでその婿殿のご先祖が娘が必死で脱出したこの町の出身だった様で、本籍地がこの町だったのです。
なので娘は本籍を、結婚と同時にこの町に移す事になった様です😅
その事を娘に話すと「しょうがない」一言でした😆

しかも私達は、この町の隅っこに遠慮がちに住ませていただいておりますが、娘の本籍地はドーンとど真ん中です🤣

人生面白いことが起きるものです😅

娘は、本籍はこちらに置いて、転勤族のオット君と国内、国外と転勤しつつ子育てに奮闘の毎日を送っております。