ドミニカ共和国の人々は信心深いです。
基本、カトリックが多いです。
が、他の宗教を信心している人も多いです。
はじめてこの国に来たときはけっこう驚きました。
ぼろぼろの乗り合いバス(グアグアという)の
フロントガラスの上の方に
「神は我が愛なり」
「神はいつも我々とともにある」
といった言葉のステッカーを貼ってある。
こちらでお友だちになったFacebook友が
「神よ、あなたはわたしのすべてです」
といった投稿をする。
かなり頻繁にする。
投稿主はたいていわたしの教え子なので大学生である。
こちらの大学生は、Facebookに、自分の日常と同じくらい、
神様への賛美を記事として投稿する。
去年の秋くらい、当地で50名近い死傷者を出した大爆発事故
があった。プラスチック工場で起きた事故で、死者4名は従業員、
負傷者44名には近くを歩いていた小学生たちも含まれる。
そのとき、工場から700メートルのところに住んでいる教え子が
事故の様子を写真に撮ってFacebookに次々アップした。
自宅は爆風でガラスがすべて粉々に割れる被害に遭った。
その自宅を写真に撮り、
「おお神よ、我が家族は全員無事でした、家族を守ってくださった
神様に感謝します」
とコメントを添えていた。
粉々に砕け散ったガラスの写真には、
「ガラスはまた入れればいい。でも家族はそうはいかない。
家族を守ってくださった神様に感謝します」
とあった。
ひとつ前の記事に書いたように、先日、当地で強い地震が起きた。
人々をかなり混乱させた地震だった。
実際、大きな被害はなかったのだけど、地方で道路のアスファルトが
陥没したり、建物の壁や柱に亀裂が入ったりといった被害はあった。
その様子を報じたニュース記事に
「もっとも重要なのは、人々の命が守られたということです、
神よ、感謝します」
「アーメン」
といったコメントが並んだ。
わたし、この信心深さ、いいな、と思う。
なんというか、適切な言い方ではないとは思うのだけど、
不都合なことが起きたとき、その責任を神様が引き受けてくださるというか、
きっと日本だったら、亀裂の入った柱の責任は、誰かが引き受けなければ
ならなくて、その責任を引き受ける人は世間から相当叩かれるのだろうな、
手抜きだとか、どうしてくれるとか、そんなことを突きつけられたりするだろう。
ここの人たちは、人間はけっこういい加減で、超テキトーだったりするけど、
その人間のテキトーさゆえに起こることは、最後は神様が引き受けて
くださる、みたいな、適切な言い方ではないと重々承知の上ですけど、
そうやって社会を丸くおさめてくださる神様はこの国の人たちにとっては
なくてはならない存在なのだろうなと。
殺伐としたニュースの並ぶ日本のサイトを見ながら、ふと思ったことでした。