義母がお世話になっていた老人ホームはいいところだったのは間違いない。
でもね、今でも時々思うことがある。
” たら れば ” なんだけどね、、、、
義母が亡くなる半年ほど前、一切の投薬がなくなった。
薬が体から抜けると、日中目を覚ますようになり、面会でも声を出し、話もよくわかるようになっていた。
Minami の子供が結婚したのよ。
おめでとう!
こんなことを言ってくれた。
元気だった頃のお義母さんそのものだった。
この出来事、忘れられないんだ。
精神病院に入院するまでのことは仕方なかったと思う。
退院して、暴れなくなってから、もっと細かく薬のコントロールはできなかったものかと思うのだ。
実母が暴力的だったのを薬で抑えてから、そのまま服薬を続けていると、寝たきりのようになっていった。
薬を減らしていくと歩けるまでに回復した。
義母は退院した時は介助があれば歩けていた。
面会に行くたびに足元が衰えていき、あれよあれよという間に車椅子になった。
(こんなにあっという間に衰える?って驚いたんだ、、、)
車椅子で面会室まで来ても、話しながら寝てしまう、睡魔に襲われているように。
また別の日、車椅子で現れて、声をかけても、体に触れても何をしても起きてくれないようになる。
(これ本当に寝ているの?っていう感じだった。信じられないような無反応なんだ。普通に寝ていたなら、体への刺激で何かしらの反応があると思うんだ。)
今振り返ってみて、あの時は薬が蓄積し過ぎてあんなになってしまったのではないかと思っている。
薬が蓄積し過ぎた時の実母の状態によく似ているんだ。
寝ているっていうより、眠らされているって感じ。(犯罪で使われそうな感じよ)
あの時、もし、義母の投薬量を減らすことができていたら、義母は寝たきりにはならなかったんじゃないか。
義母の施設は月に一度精神科医が来ていた。
施設の看護師さんは処方量をキッチリ飲ませてくれる。
そうあるべき薬もあるかもしれないけど、精神科の薬は違うんじゃないかな。
精神科の薬を一か月キッチリ飲ませ続けていいの?って思う。
キッチリ筋弛緩剤を飲んだから、義母は立てなくなり、座れなくなり、寝たきりになっていった、と考えるのは間違い⁇
次第に朦朧としていき、声をかけても、叩いても、何をしても反応がなくなっていった、のは薬のせいなんじゃないかな? と感じてしまうのは間違い?
薬を飲まなくなったら、目を覚まし、会話ができるようになった、ってどうしてだと思う?
残念なことに、この時すでに手足は固まり、自分では寝返りすらできないほど身体機能は失われてしまっていた。
実母の面倒をみていた時は、一週間ごとに精神科に行って微調整をしていた。
母の様子に変化があったら、予約の日を待たずに、医師に相談し、薬の増減をした。
そのくらい頻繁に医師と相談していたのに、義母は月に一度だけ。
次の診察まで、キッチリ服薬が行われる。
ほんとにそれでよかったのかと疑問に思う。
実母が老人ホームに入居した時、はじめの2~3ヶ月は私が引き続き精神科に通い、施設での母の状態を伝え、2週間分の処方箋をいただいていた。
実母の施設は内科、歯科、眼科の医師は訪問診療しているが、精神科の診療はない。
精神科は微調整が難しいので個々に対応してもらわなければならないと考えているようだ。
(面倒なんだけどさ)
母の処方箋には、本人の様子により薬を増減して良いということが書かれている。
義母がすっかり寝たきりになったあとに、実母の薬の増減の体験をして薬の理解を深めた。
だから当時、義母の身体機能の低下と異常なほどの昏睡状態に疑問は抱かなかったんだ。
私は無知だったんだね。
もし、実母の経験のあとでの義母であったなら、私は何かしら行動に出ていたと思う。
精神科は自分で連れていって受診させる、と言ったんじゃないかな。
薬が寝たきりにさせたのかもしれない。
寝たきりにならなかったら、義母にはもっと生きる意味のある毎日があったことと思う。
精神科の薬で潰される、と言っていた叔父(医師)の言葉はあながち嘘ではなかったかもしれない。
患者の身体機能が落ちているのは薬のせいではなく、年齢のせいだと医者が勘違いし、同じだけの薬を処方し続けていたら、
患者は精神科の薬により潰される。
どんどん動けなくなる。
ただ、正しく判断できる医師ならば患者を潰すことなく、運動機能を奪うこともないのだろう。
家族は賢くなければ、と思った