父と仲の良かった2歳違いのお兄さん。

 

私の兄に動画を送ったように、父の為にもビデオ通話でもさせてあげればよかったと思う。

 

でも、伯父の入院は私の兄の入院の時期と被り、私の兄が亡くなったことで私も両親もいっぱいいっぱいだったので、

とてもそんなことできなかった。

(コロナ患者用の火葬場が混み、火葬するまで10日以上かかったりした)

 

 

 

 

息子を亡くした認知症の母は朝から晩まで、いや、明け方まで、アルバムをめくり続けた。

兄が幼い頃の数冊。

何度も何度も同じページを触っていた。

小さい子供が大好きな母がどれだけ可愛がって育ててきたか。

どんな思いでアルバムを見ていたか。

 

母の鬱はますますひどくなっていった。

 

 

アルバムを見続ける母を見て父は辛かった。

 

 

その2人を見る私も辛かった。

 

 

辛すぎて、アルバムをすぐ触れないように、テーブルから下ろしたりした。

でも、さすがにアルバムを隠すことはできなかった。

 

 

 

 

できるだけ子供は親より先に死んではいけない。

自分は両親を見送るまで、絶対に事故に遭わない、病気で死なない、誓う。

これ以上2人に悲しい思いをさせてはいけない。

 

 

 

 

その頃、日本の世の中ではコロナで亡くなるのは悪いこと、といった風潮があり、

今のように コロナで亡くなった、と言いにくかった。

戦前の話ではないのよ、つい数年前の話よ。

外で遊んでいたからコロナになったんでしょ、みたいな解釈があった。

(このことは初期のコロナによる死者が身内で出た人にしか わかってもらえないかもしれませんね)

 

また、コロナ患者の葬儀は最小限の家族だけ、という規制があった。

親戚は呼べない状態だった。

(葬儀とは思えないほど寂しいものだったよ。親戚、友人、みんなで送り出してあげることもできなかったんだから。)

 

 

 

 

 

悲しみは特殊な環境の中で続き、結果、親戚の誰にも兄の死を報告できず、

その後、伯父が亡くなり、両親は息子の死を隠したまま伯父の葬儀に出席した。

 

息子の葬儀をしてひと月ほどしか経っていないのに、伯父の葬儀の場に立ち会う両親。

葬儀の最中、母は泣き崩れ、息子が亡くなったことを初めて親戚に報告した。

息子の葬儀は、今日のようにみんなで送り出してあげられなかった、という思いもあったのだと思う。

 

叔母たち、従兄弟たち、遠い親戚たち、みんなが驚いた。

 

 

 

 

 

 

残念なことに、伯父が守ってきた田舎の家は今は空き家になっている。

 

伯父の死後半年ほどして、父が生まれ育った家、つまり伯父の家に両親と行った。

伯父伯母がいるんじゃないかと思うほど全く手がつけられていなかった。

ハンガーにカーディガンがかかったまま、ペンが使われたまま、宅急便の紙が届いたそのまま置かれている。

 

田舎に住む両親を馬鹿にしていた従兄弟たち。

 

リアルな生活が残っていて、ゾッとするほどだった。

親の家の片付けすらしない従兄弟たち。

 

内容は知らないが、 遺産相続のことで兄弟間で裁判沙汰になっている。

 

 

 

 

私は兄と2人兄弟。

別に欲しいものもないので、遺産相続については兄が言う通りに従うつもりでいた。

 

その兄が亡くなり、相続人が私と姪っ子になった。

既読スルーの義姉既読すら付けない姪っ子だ。

 

状況が変わってしまった。

従兄弟たちのような 裁判沙汰なんかならないようにしたい。

 

 

そして人は突然亡くなることがある。