コロナが流行し、身近な人を亡くして考えるようになったことなのだけど、
家族が病気のことや医療や薬のこと、世の中の制度のことなど、よく調べるかどうかで患者の最後の生き方が変わってくるんだな、とつくづく実感している。
兄の死
伯父の死
義母の死
施設で過ごす実母のこと
< 兄のこと >
コロナによる致死率が高かった頃、兄は罹患し、約ひと月の入院でそのまま亡くなった。
具合が悪くなって一週間も経ってから受診。
既に肺は真っ白だったという。
その頃は病床不足で死ぬほど大変な方でも自宅療養を余儀なくされていた。
兄は即、大病院へ搬送された。
これを聞いた両親は、
ラッキーだったね、みんな病院に入れないって言っているのに入れたんだから。
と言う。(こう思うようにしていたのではなく、本気でそう思っていた)
私の解釈は違った。
大病院に即入院になるほど重症なのか、と。
でも、そんなことは両親には言えない。
食べられず、高熱が下がらずにいるのに、家族は一週間も放っておいたのか、と言いたい。
コロナでなくても早めに受診に連れていくのが普通じゃないか。
家族が兄の病状に関心をもっていたら、、と、思う。
もう、戻ってこない。
母の認知症はこの時から一気に加速した。
(それまでもけっこうひどかったんだけどね~ )
ただ、息子の死因がコロナだったことで救われたと思っていることがある。
火葬の立会いがなかったことだ。
コロナ患者専用の火葬場で〇月〇日、どこそこで焼かれます、という知らせだけ受け、お骨になって戻ってきた。
窯に入れられ、扉が閉められ、ゴゥと点火する音が、、、、
あの瞬間は、MAXツラい。
それがなかったのは救い。
私にとっても救いです、窯に入れられる兄を見るのも辛いだろうし、両親が泣き崩れるであろう姿を見るのも耐えられない。
入院中、コロナだから当然面会も出来なかった。
両親は祈ることしかできない。
義姉から私には一度も連絡はなかったが、情報は老夫婦(両親)経由で入ってくる。
虫の知らせか、何なのか、、、こんなに何もできずにいることに耐えられなくなって、
数日前、たまたま撮影した動画に、私と父と母の声が入っていたのを思い出し、兄のスマホに動画を送った。
なんとか兄に聞かせて欲しいと 病院にお願いした。
30秒足らずの音声を看護師さんは眠り続ける兄の耳元で流してくれたという。
実家の日常の音、父の誕生日を祝うバースデーソング、みんなでワイワイ、、、
兄はしっかりと目を開き、大きく頷いた、という。
良かった、わかってくれた、、、
翌日、亡くなった。
面会はできなかったけれど、みんなが応援していることを伝えられて良かった。
このころから、スマホやタブレットを使っての家族との面会が始まった。
電子機器面会で頑張れた人ってたくさんいたんじゃないかと思う。