認知症の母親は、隔週でデイサービスとショートステイを繰り返す。つまり、今月だと1日~8日、16日~21日がショートステイ、その他はデイサービスだが、デイサービス期間の土日はお休みで在宅。正直、この土日がいちばんきつい。全然お休みにならない。

妻は統合失調症のため、家事の一切はできないし、介護なんてとんでもない。

そんなわけだから、本日介護センターに行って、老人ホーム入所の申し込み用紙をもらってきた。何年待ちになるかわからないのだが、しないよりはいいだろう。入院には間に合わないだろうけど、宝くじは買わないと当たらない。

仮に私が入院となったら、たぶん、母親は姉の家に預かってもらうしかない。妻の買い物、食事その他も姉に面倒をかけることになる。

今日は、腰がだる痛かったり、みぞおちの左がちくちくしたり、みぞおちの右に焼けるような感触があったり。

今朝の便は、軟便。それから2~3回ほど下痢を繰り返す。

明後日、2018年6月6日は、いよいよ精密検査の日だ。明日の昼には、ちと贅沢をしよう。夜は、たぶん抜くと思う。

 

私の食事なんだけど、週末の2日間は、ほとんど取れない。

 

母親が目を覚ます午前5時に起きて、朝飯を作って食べさせ(食事は介助が必要)、尿はおむつでしてもらって、便は介助しながらポータブルで。便の場合は、ゴム手袋をして肛門を拭いてあげる。

 

昼飯の前に買い物に出かけ、帰ってみると100パーセント大騒ぎ。

 

落ち着いたところで同様に昼食。午後は、なんでも鑑定団でも見ながら、壊れたテープレコーダーのように、繰り返し繰り返しの母親の質問や話に頷いてあげたり。これは1日中。

 

ご飯を食べた5分後には、お腹が空いた、ご飯はまだかいね。バナナや饅頭などのおやつを与えても、やはり5分後には何か食べる物はないかいね。これも1日中。

 

もう食べることしか楽しみがないから、できる限り与えるようにしている。手を変え品を変え、偏らないようにお菓子だったり果物だったり。

 

夕食の用意中には、台所で作業中の私になんやかんやと言ってくる。それも、同じことばかり。

 

夕食が終わると、だいたい寝てくれる。おむつを代えて、尿取りパッド夜用10回分を入れる。明朝5時になるまで決して目を覚まさない。そこだけは助かる。

 

写真は母親の今晩の夕食。ご飯は米1:水4のやわらかいやつ、おかずはすべてすり鉢ですり潰す。

 

 

 

 

 

 

 

だが、これだけやると、もう食欲はなくなる。風呂も入らずに、そのまま布団にバタンキュー。これが母親在宅中の週末である。
 

ほかには、膵臓癌の可能性が限りなく高いと分かった今、ずーっと重い腰が上がらなかった、やり残したことを成し遂げる気がむくむくとわいてきた。

 

私には時間がない。そう思うと、いてもたってもいられない。50歳をすぎて、もう無理だろうという夢ではあるが、無理だとわかっていても、何事もトライしなければ始まらないという気持ちはずっとあった。

 

これは、「いつかは……」という夢を持ち続けることによって、日々の仕事や生活が成り立っていたとも言えるが、ここに来て「私には時間がない」というのが現実味を帯びてくると、膵臓癌になってもならなくても、もう残された時間は決して長くないから、いくらなんでも、もう行動に移さないといけないと。夢は持ち続けるものではなく、実現するものだと。