2013年、年の瀬の迫った12月12日(木)の朝、兄の手術付き添いのため、鳥取大学医学部附属病院に到着。膵尾部にできた癌なので、膵臓の中央から膵尾部にかけてと脾臓を全摘出する手術だ。

 執刀する医師に、手術に使うメスを見せられた。三日月型で先がとがっており、TVなどで見る一般のメスとは別物だった。全長は30~40cm。忍者か何かが持っている特殊な武器のように見えた。それを使うには家族の承認が必要なため、捺印を求められた。

 手術前の兄は、いたって元気で、「(体調は)なんともないのに、何で手術なんかしなければならないんだろう?」なととつぶやいていた。手術室には、着替えなどの荷物が入った大きなバッグをかついで、しっかりとした足取りで入っていった。術後に、「自覚症状はあったのか?」と尋ねたところ、「ぜ~ん、ぜん」と答えていたと記憶する。

手術は約8時間の予定だったが、結果的に12時間にも及んだ。その間、ずっと心中穏やかではなく、手術室入り口の前に行って、中の様子をうかがったり、出入りする医師や看護師の顔色をうかがったり、とにかく落ち着かなかった。

手術が終わると、寝台に横たわった兄が出てきた。麻酔は覚めて、何か神妙な顔つきをしていたが、「頑張ったね!」という私たち(姉も同行していて、仕事が終わった兄の友人も駆けつけてくれていた)の問いに、軽くうなずき、そのまま集中治療室に入って行った。

その直後、消化器外科の担当医のお話があった。話を聞いたのは、私と姉である。

摘出した膵臓と脾臓を見ながらの説明となった。脾臓はきれいな茶色をしており、これを取ってしまったのは何かもったいない気がしたが、膵臓とつながった臓器だということで、この症例の場合は摘出しなければならないものだった。

半分に切り取られて摘出された膵臓は、中身が見えるように十文字に切れ目が入っていた。説明を聞きながら、膵臓の中身を見た。

膵臓の中の丸い膨らみが膵臓全体を膨張させていた。腫瘍の中央部に行くに従って白くなっており、器具で押さえてみると固くて弾力がなくなっている。

医師が言うには、あまりにも進行が早い癌のため、癌の成長のための栄養が追いつかず、中央部が壊死してしまっているとのことだった。リンパ腺のいくつかを切除し、できることはすべてやり、手術は成功。

しかし。

その後も、医師の話は続く。

「ですが、離れた場所の太い血管に遠隔転移が認められました。ということは、小さな癌が他方に散らばっていると思われます。そのような癌は、手術では取り切れないので、今後は抗癌剤や放射線治療になります。治療方針は、近々会議によって決めます。余命は、180日です」

180日。あまりにも短いのではないか。一般病棟に移ったあとの兄に、どのような顔を見せていいのだろうか?

「手術後には、我慢できないほどの激しい痛みに襲われると聞いています。できるだけ痛まないようにしてやってください」

私がそう言うと、「はい。痛まないように最善を尽くします」との医師の返答。

その晩、集中治療室での付き添いは姉が行い、次の日に一般病棟に移ってからは、私が付き添った。

すでに兄は元気になっていて、術後の翌日だというのに、年賀状を書くから筆ペンを買ってきてほしいなどと言う。膵液がもれたらやばいから、もう少し安静にしていなよと言ってもきかない。

痛くても、何か行動することによって早く体力を回復させたいという気持ちがあったのだろう。

手術の傷跡は、腹部が大きく直角にできており、その上からガムテープが貼ってあった。その一部から管が出ており、その先は膵液をためる袋につながっていた。背中には痛み止め投与用の管が入っていた。

最終的には、兄は肺癌を発症し、それがもとでインフルエンザ、そして肺炎へと発展した。死因は、肺炎ではあったが、結局膵臓癌はどうなっていただろう? という思いが、私の心の中でくすぶっている。

「決して風邪をひいてはいけない」

医師からは強く言われていた。肺癌で亡くなる人の多くは、風邪やインフルエンザがきっかけで肺炎となり、それが死因となるらしい。死の直前に、「あれだけ風邪には気をつけろと念を押されていたのに……」と悔しがっていた。

肺癌ではなく、肺炎で死亡する人の無念さがわかる。

兄は、本人が言うように、本当に自覚症状はなかったのだろうか? あのような膵臓のありさまになるまで、自覚症状はなかったのだろうか?

私の場合は、「何となくおかしい、何となく痛い感じ、何となくお腹の中が膨らんでいる感じ」といった漠然としたものであり、それが次第にチクチクとした痛みに変わっていき、また焼けるような感じも加わり、その範囲も広がりつつある。とくに我慢できないものではなく、何か邪魔だなぁくらいの印象。兄もそのような自覚症状があったにもかかわらず、それを自覚症状として受け止めていなかったのではないだろうか。

兄の場合は、膵臓癌を罹患した人がまわりにいなかった。私は兄の件をきっかけに自覚症状を意識するようになったのではないだろうか。