2015年2月14日(3年前)に、兄を亡くしました(享年56歳)。

 

当初の診断は、膵臓癌。2013年10月、松江市立病院にて膵尾部に癌が発見され、同12月に鳥取大学医学部附属病院で、膵臓の半分と脾臓を摘出。

 

手術後の医師の説明では、進行が早く、抗癌剤の効きにくい「退形成性星細胞腫」とのとこ。あまりにも癌の進行が早いため、癌成長のための栄養が追いつかず、中央部は壊死。また、遠隔した血管に転移を認め、後の他臓器への転移の可能性を示唆。余命180日と告知。

 

入院は2014年3月にまで及んだ。

 

その原因は、術後の膵液の止まりが悪かったのと、その間に肺にも癌が見つかったこと。肺癌に関しては、当初は膵からの転移性のものだと思われたが、後に原発性であることがわかり、積極的な治療を開始。

 

医師によれば、膵臓切除による抵抗力低下により、もともとあった小さな肺癌が大きくなったのが原因とのこと。

 

肺癌は、これも進行が早く抗癌剤の効きにくい「大細胞型」だった。

 

肺の癌はCT検査の結果、小さいため切除可能とのこと。ところが、開腹してみると、検査結果とは異なり、切除不能の大きさだったため、処置をせずにそのまま縫合。

 

その後は、抗癌剤(シスプラチン+TS-1)の投与と放射線治療となった。

 

2014年7月、骨転移が認められたが、放射線治療により消失。

 

2014年11月には東京のタニクリニックにかかり、食事療法と当院の出された薬による治療を開始。

 

そのころには激しい疼痛に見舞われており、オキノーム散を常時服用。オキノーム散の効き目はとてもよく、しかも痛ければ何回服用してもよい。

 

痛みを我慢するのは、患者のストレスになり、治療のためにはよくないとのこと。

 

2014年12月には、タニクリニック院長の受診予約が運良く取れ、2015年1月16日に治療のため上京。「水気療法」というものだ。正直、私にとっては“まゆつば”にしか思えなかった。本当にこれで治るのだろうか? と。

 

ちなみに、院長の谷美智士先生は、兄の死後、間もなく亡くなられた。あんなに元気だったのに、自ら病気を抱えながら、医師を続けていらっしゃったんでしょうか。

 

2015年1月20日、当時東京で流行していたインフルエンザを罹患し、しかも肺炎へと発展。聖路加国際病院に急遽入院し、肺炎の治癒に努める。当院で頭部MRIを実施した結果、脳転移を確認。

 

聖路加国際病院の医師の見立てによると、「すでに危篤状態。いつ亡くなってもおかしくない状態」とのことだった。意識ははっきりしていて、普通に会話ができたが、食欲はまったくなかった。

 

「ここで死ぬか、故郷で死ぬか」の選択を迫られた末のことだった。


2015年1月30日、聖路加国際病院のすすめにより、長距離タクシー(運転手2名、看護師1名+酸素吸入)により、鳥取大学医学部附属病院に帰還。

 

鳥取大学医学部附属病院の担当医の説明によると、すでに治療がどうのという段階ではなく、できるだけ楽に死なせてあげる緩和ケアに努めるしかないとの通告。

 

次々と出てくる痰の除去が追いつかず、呼吸困難→意識不明の結果、2015年2月14日に永眠した。