皆さま、おはようございます!

 

前回のブログで三角線・三角駅のことを書きました。

三角線・三角駅

三角線は、熊本と天草や長崎・島原を結ぶ目的で

明治32年に開通した路線で、

当初は、明治20年に開港した西港(旧港)を目指して

計画されていたのです。

ところが、西港周辺は海岸線まで山が迫っているために

当時の土木技術では鉄道を敷設することは難しく、

結果として、その後に開港した三角港(東港)付近に

三角駅が設けられましたの。

 

こちらはグーグルマップで見た駅と西港までの地図です。

三角港から西港まで鉄道を敷くには、

あと4キロ弱ほど延ばさなければならなかったようですね。

三角西港

海岸線ギリギリの位置に敷かれた国道57号線にも注目です。

三角線建設当時にここに鉄道を敷く技術があれば、三角駅の位置が変わっていたのかな?

 

三角西港は明治政府が主導で建設された港で

日本三大築港(他は野蒜築港(宮城)と三国港(福井))のひとつです。

ほぼ現役時代の姿を留めていることから

世界遺産にも登録されているそうですよ。

三角駅まで来たのに、

三角西港を見ずに帰ったら一生後悔しそうな予感…

ということで、ちょこっとの時間でしたが

レンタカーを利用して三角西港まで足を伸ばしてきました。

 

その前にこちら、三角駅の真ん前(三角港のど真ん中)にある

展望所「海のピラミッド」でした。

三角西港

今回は時間が無かったために、ここをスルーしちゃったのですけど、

ここのテッペンからは三角港が一望できるそうです。

今になって登らなかったことを後悔していたスポットでした。

ここからの景色、マジで絶景らしいですよ。

 

三角駅から車で約10分、目的地の西港に到着しました。

三角西港

九州・熊本と言えど、12月の早朝はさすがに寒いですね。

それまでの眠気がいっぺんに吹っ飛びましたわ。

 

それにしても西港のスゴイこと。

この石積み、明治20年に開港した当時のままのモノらしいですよ。

三角西港

三角西港

その後に東港が完成し、早い時期に現役を退いたことから

奇跡的に今日まで、原形を保ったままで残されていたんですって。

 

そして建物にも注目です。

三角西港

 

開港当時の姿を伝える貴重な建物が数多くあるのですが、

中でもメインとなるのが、こちらの明治20年に完成した旅館「浦島屋」でした。

三角西港

ここに鉄道が敷かれることを前提に建てられた旅館で、

当時は50~60人の従業員さんがここで従事されていたとか。

 

浦島屋は明治37年に、日露戦争の疾病者向けの病院に変り、

翌年の明治38年に中国の大連に移設されたそうですよ。

三角西港

現在の浦島屋は平成5年に復元されたモノですが、

ここにはそれ以外にも、当時から残る建物も数多くありますの。

鉄道ファンでしたら、

「もしここに鉄道が敷かれていたら…」なんて妄想をしちゃうこと必至。

ここは絶対に見てた方がいいです!

 

日本三大築港…

我が地元にある野蒜築港(完成することなく幻で終わりましたが)も

名を連ねていたので、気になっていたのですよね。

東北本線(当時は日本鉄道)が敷かれたのも、

当初は野蒜築港まで鉄道を通すのが目的のひとつでしたし。

三角西港

 

木造駅舎の佇まいも素晴らしかったし、

旅の途中で思わず気分上々になれた三角駅でした。

三角西港

次回訪問の際は絶対に「海のピラミッド」に登りたいと思いますが…

本当は、撤去された三角駅の展望台に上がりたかったです。

どんな展望台だったのかは、是非とも三角駅で画像検索してみてくださいね。

 

 

三角線(あまくさみすみ線)


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