何ら変わらないような今日の日に。。

 

生きている。

 

私には、お父さんとお母さんがいる。 まだ生きている。

 

思い出す、確かに愛情かけてもらったあの瞬間、この瞬間。

 

黙っててくれたあの時、怒った後に謝ってくれたあの時、抱きしめてくれた時。

 

ああ、、それがどんなに貴重なことか。

 

子供が5人いる。 元気だ。 まだ成長段階で。。。

 

起きて、ちょっとぼーっとする様子、笑う、怒る、走る、話したり、協力したり、

 

ああ、、今この瞬間でしかないこの何もない平和な時。 すごいことだ。

 

夫がいる。  パートナーがいるって、実はどんなに助けられてるだろう。

 

温かい手が好きだ。 親や子供とも違う、唯一の体温を感じれること。

 

当たり前に存在してくれている今日この瞬間は、実は本当にありがたいことなんだ。

 

動物たちがいる。 いつも通りのんびり寝たり、じゃれついたり、みつめてきたり。

 

彼らの存在が、一緒にこの家を守ってくれている。 

 

家族の息づく存在を感じる家がある。 この家も一緒に生きてくれている。

 

日本に住めている。 大好きな日本と日本人だ。

 

全部全部、当たり前じゃない。 当たり前じゃないけど、

 

当たり前のようにあってくれる今この瞬間が、なんとありがたい歓喜に満ちたことなのか。

 

 

そこから意識を外すのはもうやめよう。

 

私は必ず、何があっても、日常のこの小さな最高のありがたさに私の意識とエネルギーを向けていくんだ。

 

 

そういえば、ふと思い出したけど。

 

小さいころ、私の楽しさは、

 

例えば、一緒にいる友達が、一緒に遊んでるみんなが、楽しそうにしていることだった。

 

それが一番安心する要素だった。

 

一人でも落ち込んでたり、悲しんでる子や、寂しそうにしてる子がいると、気になったんだ。

 

自分だけ楽しい状況ってのは、心から楽しめなかった。

 

 

大きくなって、そんなのは偽善な考えだ。とかって自分に言うようになった気がするけど、

 

でもこれは私の中の真実だ。

 

私は、本当の本当は、そこにいるみんなが心から笑ってる、その空間に居れた時に、

 

深い深い喜びを感じる。

 

つながりを感じるからかもしれない。  私にとってその瞬間は、

 

one。。という何か、大きな大きなものと繋がってる安心感を感じれる瞬間なのかもしれない。

 

私の深いところの望みなんだ。

 

誰かのものや外からの知識によって判断するものではなく、

 

自分だけの感覚に戻ろうと思う。

 

そういう、ちょっとしたことからね。

 

こういう、ちょっとした私の感覚を思い出させてくれてありがとう。

 

しっかり感じて、守っていく。

 

それでいい。